日付の由来が間違っていた写真の日(6月1日)
「写真の日」(6月1日)は昭和26年(1951年)に日本写真協会の写真の日制定委員会により制定されたものです。その根拠となったのは明治35年(1902年)に東京日の出新聞に連載された鈴木天眼の記事「日本写真の起源」と明治40年(1907年)に著された松木弘安の「寺島宗則自伝」の記述です。「日本写真の起源」には「天保12年にオランダ人から長崎にもたらされ、島津斉彬を写した」、「寺島宗則自伝」には「天保12年上野俊之丞と鹿児島に同行し、6月1日に島津斉彬を撮影」と記されています。
これらの記述に基づいて6月1日が写真の日とされましたが、 その後の調査で誤りであることが判明しました。薩摩藩士の市来四郎が編纂した「島津斉彬言行録」(斉彬公言行録)には「撮影術一名写真御開ノ事、并、御眞影奉写ノ事実」(撮影術またの名は写真を創始、ならびに主君のお姿を撮影した事実)という記述と、撮影日が安政4年(1857年)年9月17日であったことが記録されています。斉彬が写真術の研究に着手したのは薩摩藩主に就任した嘉永4年(1851年)です。市来四郎らは苦労を重ねて写真術の研究に取り組みました。
このことから、日本に写真が渡来したのは嘉永年間で、最初に日本人の手によりタゲレオタイプ(銀塩写真)の撮影が成功したのは安政4年(1857年)年9月17日であったことが判明しました。この写真が薩摩藩士の市来四郎、宇宿彦右衛門らが藩主島津斉彬を撮影したものです。
この銀板写真は撮影者、被写体、撮影年月日が明確に判明している日本最古のもので、平成11年(1999年)に写真としては初めて重要文化財に指定されました。
【参考文献】
「写真の日」は昭和26年に設定されて以来、慣れ親しまれてきました。日本写真協会は「写真の日」の日付の由来が誤りと認めつつ6月1日を「写真の日」としてイベントを開催しています。
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