自然哲学

2021年4月 8日 (木)

√2が開いた科学の扉

異端視されたデモクリトスの原子論

 世の中のすべてのものが原子と原子の結びつきからなるという原子論を唱えたデモクリトスは、唯物論者であり、また機械論者でもありました。デモクリストスはこの世界に存在するものや事象はすべて必然の結果であるとし、その対象は人間の思考や行動にまで及ぶと考えました。人間の肉体は原子からなるのだから、人間の思考や行動が未来でどうなるかは予め決められており、筋書き通りになると考えたのです。

クリ
デモクリトス

 このような機械論的な思想は原子論の流布の妨げになりました。実際、その後の古代ギリシャ哲学は、プラトンやアリストテレスの人間主義的な思想が主流となりました。デモクリトスの原子論は封印され、四元素説が広まりました。

万物の根源は数としたピタゴラス 

 デモクリトスはピタゴラスを崇拝し、ピタゴラス学派の思想を受け継いだとされています。

ピタゴラス
ピタゴラス

 一般に、ピタゴラスは数学者と知られていますが、実際には新興宗教ピタゴラス教団の開祖でした。この教団は、霊魂は不滅であり、あの世に旅立った霊魂は、この世に生まれ変わるという輪廻転生の考えを持っていました。そして、宇宙は厳格な法則で成立していると考え、輪廻転生から解脱し、魂を肉体の支配から解放するには、その法則を深く理解する必要があると考えました。

日の出を祝うピタゴラス(1869, Fyodor Bronnikov)
日の出を祝うピタゴラス(1869, Fyodor Bronnikov)

 やがて、ピタゴラス学派の哲学者たちは天文学や音楽から宇宙の法則を考えるようになりました。たとえば、天文学では、月の満ち欠けや、星座の動きには法則があると考えました。

 月の満ち欠けと太陽と地球と月の位置の関係
月の満ち欠けと太陽と地球と月の位置の関係

 音楽の分野では、一本の弦を奏でたときに鳴る音の規則性を発見しています。ドの音が鳴る弦の1/2を押さえて弾くと1オクターブ高いドが鳴り、2/3を弾くとソが鳴り、3/4を弾くとファがなります。弦が美しい音を奏でるのは数の比が関係しているに違いないと考えました。

弦の長さとハ長調の音階の関係
弦の長さとハ長調の音階の関係

 このような結果から、彼らは、この世界は数の比で秩序づけられており、美しく調和していると考えました。そして、数の比の関係を神聖な数と考えられていた10と関連づけ、テトラクテュスという図で示しました。テトラクテュスは頂点が1つ、2列目が2つ、3列目が3つ、4列目が4つの点から成る図形です。単純な整数の比によって美しい正三角形ができることを示しています。

テトラクテュス
テトラクテュス

 そして、この調和をハルモニアと呼び、宇宙の本質は数の比であり、すべてのものは数に置き換えられると考え、「万物の根源は数である」と結論づけたのです。

すべてが数の比で表すことができるのか

 ピタゴラス学派の哲学者たちは、ハルモニアが数の比でもたらされるならば、この世に存在するものは、それ以上分割できない最小単位からなると考えました。そして、この考えを空間や時間にも適用し、それらも最小単位からなると考えました。彼らは、世界は、数と数の比で表すことができる美しいものであると考えたのです。

 ところが、ピタゴラスの弟子のヒッパソスは、ピタゴラスの定理を考えているうちに、数と数の比で表せない数があることを発見しました。彼は二乗すると2となる数字を数の比で表そうと試みましたが、それが絶対に無理であることに気がつきました。

ピタゴラスの定理
ピタゴラスの定理

 ヒッパソスはこのことをピタゴラスに伝えましたが、ピタゴラスは彼の発見が教団の考えを覆すことを直ちに理解し、彼に決して口外してはならぬと命じました。真偽はともかく、この発見を闇に葬るためヒッパソスが殺されたという説もありますから、ピタゴラスはこの発見に驚愕し、警戒したのは間違いないようです。

ヒッパソスヒッパソス

 ヒッパソスが見い出した数と数の比で表せない数とは√2のことですが、√2そのものは彼が発見したわけではありません。紀元前2千年のメソポタミアで栄えたバビロニアの遺跡から発掘された石版にその近似値が六十進法で記述されています。また、古代の人々はロープを使って次のオ図のような手順で平方根を作図できたと考えられます。

平方根の作図.png
平方根の作図.png

実数が科学の扉を開いた

 数には分数で表せる有理数と、分数で表せない無理数があります。ヒッパソスが「世界で初めて発見した数」とは無理数のことです。

 有理数は1/2や3/4など分数で表すことができます。2/3は割り切れず0.6666…と6が無限に続く小数ですが、整数の比で表せるので有理数です。2/7は0.285714285714…と285714が繰り返し続きますが、これも整数の比で表せるので有理数です。

有理数と無理数
有理数と無理数

 一方、無理数は分数で表すことができない数です。その例には√2や√3、円周率πや自然対数の底eなどがあります。これらの数字は繰り返しのパターンがなく、無限に続く小数です。

  √2 = 1.41421356237309504880・・・
  √3 = 1.73205080756887729352・・・
  π  = 3.14159265358979323846・・・
  e  = 2.71828182845904523536・・・

 ヒッパソスが無理数を発見したとき、哲学者たちは混乱しました。しかし、彼らは、やがてその混乱から脱却し、有理数と無理数を合わせた実数という概念を作り上げました。

 実数の概念は数学を発展させることになり、科学を発展させることにもなりました。数学を使えば、物体の運動など多くの現象を数で表すことができます。また数学からの新発見もあります。たとえば、マクスウェルは、電磁波が発見される20年も前に、数学で電磁波の存在を予測しています。アインシュタインも数学で相対性理論を導き出しました。そして、現在の科学者たちは素粒子の世界を数学を駆使して解明しようとしているのです。

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2021年3月30日 (火)

無限の猿の定理とは

バベルの図書館の収蔵されている本

 バベルの図書館のすべての所蔵本は25個の文字をでたらめに組み合わせでできています。そのため、バベルの図書館に収蔵本はでたらめに文字が羅列した意味のない本が多数を占めますが、その中には意味の通じる本もあります。

 たとえば、ウィリアム・シェークスピアのような作品ができあがる確率はどれぐらいになるでしょうか。確率は0ではありませんが、限りなく0に近いでしょう。シェークスピアのような作品ができあがるのは奇跡に近いのですが、十分に時間をかければ意味の通じる本ができあがると考えることもできるでしょう。

 乱数で文字列を発生し一冊の意味ある本ができあがる確率は「無限の猿定理」で考えることができます。

参考:光と色とバベルの図書館の所蔵数は何冊か

無限の猿定理とは

 猿が十分に長い時間をかけてキーボードを適当に打ち続けると、やがてシェイクスピアの作品の文章ができあがることもある。これが無限の猿
定理です。これは十分に長い時間をかけてランダムに1文字ずつ打ち出すと、どんな文字列でも作り上げられるという意味です。この定理によると、この記事も十分に時間さえかければ何の意図もなくできあがってしまうことになります。

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 もちろん猿がキーボードを適当に打ち続けるという条件は無理があります。猿は同じキーをずっと打ち続けたり、キーボードを壊したりしてしまうでしょう。ですから、猿を使った説明はあくまでも比喩です。そこでコンピュータで乱数を発生させてランダムに文字を打ち出すことを考えることにしましょう。また、シェークスピアの作品を例に説明すると、あまりに文字数が多くて話が複雑になるため簡単な例で考えてみましょう。

 MONKEYが打ち出される確率

 いまAからZまでの26文字の大文字のアルファベットからなるキーボードで文字をランダムに打ち出すことを考えます。このキーボードで任意の一文字が打ち出される確率は1/26です。m文字の文字列が打ち出される確率は 1/26mとなります。

 MONKEYは6文字ですからMONKEYが打ち出される確率は1/266、約3億890万分の1となります。仮に1秒で6文字打ち出せるとしても、すべての組み合わせを打ち出すのに要する時間は約3億890万秒、10年弱かかります。この確率は単語の文字数が大きくなるほど小さくなります。8文字になると約6,600年に1度、10文字になると約450万年に1度、12文字なると約30億年に1度になります。

 さて、実際のタイプライターやパソコンのキーボードのキーの数は約100個です。このキーボードでm文字の文字列が打ち出される確率は 1/100mとなります。6文字のMONKEYが打ち出される確率を同様に計算してみると、1/1006で1兆分の1で3万年に1度となります。8文字の確率は1京分の1で3億年に1度、9文字では100京分の1で300億年に1度です。これは宇宙の歴史138億年を上回ります。

Monkey
キーボードでMONKEYを打ち出す

俳句が打ち出される確率

 次にもう少し文字数を大きくして世界でもっとも短い詩である五・七・五の文字列からなる俳句について考えてみましょう。ひらがな50文字のキーボードを使うとすると、俳句の組み合わせは 5017 通りとなります。これは7の後ろに0が28個も続く大きな数字です。

 松尾芭蕉の「ふるいけや かわずとびこむ みずのおと」や与謝蕪村の「なのはなや つきはひがしに ひはにしに」という俳句ができる確率は 1/5017 であり極めて小さい値となります。

 シェイクスピアの「ハムレット」に出てくる有名な一文「To be, or not to be: that is the question.」で考えるとどうなるでしょうか。この台詞はスペースとカンマとコロンとピリオドを除くとちょうど 30 文字あります。大文字のアルファベット 26 文字のキーボードで考えると、この台詞ができあがる確率は 1/2630 となります。100 個のキーボードで打ち出される確率を考えると 1/10030 になります。

 10030 は1の後ろに 60 個も続く大きな数字です。いずれにしても作品中の文章がすべて打ち出される確率は極めて0に近い値であることは容易に想像できます。ハムレットの台詞が打ち出される事象が起きる可能性はほとんどないと言えるでしょう。

猿の数を増やすとどうなる

 さて「無限の猿の定理」の意味を考えると、確率は極めて低いものの理論的には十分に長い時間をかけるとシェイクスピアの作品がいつかは打ち出されることになります。ここでもう一度MONKEY を打ち出す実験を考えてみましょう。キーが 100 個のキーボードで MONKEY が打ち出される確率は1兆分の1で、1秒間に6文字打ち出すと、すべての組み合わせを打ち出すのに1兆秒かかる結果となりました。

 それでは、キーボードを1兆台用意して、1兆匹の猿がいっせいにキーボードを打ち始めたらどうなるでしょう。理論的には1秒後に1兆台のキーボードのうちどれか1台のキーボードが MONKEY を打ち出すことになるはずです。数秒後、1分後はどうでしょうか。ほぼ確実に MONKEY という文字列が打ち出されると言えるのではないでしょうか。

 このような条件は理論的にはいくらでも設定することが可能です。しかし、現実離れした条件を設定した場合、実際に確かめる術はありません。

無限の猿定理は現物実験で確かめることはできない

「無限の猿定理」は単純に言ってしまえば「何度も繰り返せばそのうち当たりが出る」と言っているのと同じです。しかし、無限の猿定理の事象が本当に起きるかどうかを確かめるには途方もない時間や途方もない数の装置を必要とするため「現物実験」で確かめることはできません。そのため、無限の猿定理の問題は「思考実験」で取り組む必要があるわけです。

 現物実験とは一口で言えば実在する物を使った実験のことです。科学の理論や法則に基づいて、条件などを変えながら、現物を使って実験を行います。実験から得られたデータをもとに、仮説を立てたり、結論を導き出したりします。

 一方、思考実験とは実際に実験を行わず、設定した前提条件をもとに、理論的に導かれる現象を思考のみによって解き明かしていくことです。言い換えれば、実際に実験できないことを、頭の中であれこれと考えてみることです。あれこれ考えると言っても、思考実験はあくまで科学の理論や法則に忠実に則って進めなければなりません。その約束が守られている限りにおいては、思考実験によって従来の科学の枠を超えた新しい科学の理論を導き出すことも可能です。事実、たくさんの新しい科学の理論体系が思考実験によって導き出されてきました。

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2021年3月 9日 (火)

バベルの図書館の所蔵数は何冊か

バベルの図書館とは

 バベルの図書館はアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが1941年に発表した短編小説「バベルの図書館」に登場する同名の図書館です。この図書館にはいったいどのような本がどれぐらい所蔵されているのでしょうか。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス
ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1940年代)

バベルの図書館の構造

 まずはバベルの図書館の構造からみていきましょう。バベルの図書館は蜂の巣状に無限に連なった六角形の部屋が無限に積み重なった建物です。それぞれの六角形の部屋は図書の閲覧室となっており、すべて同じ構造をしています。六角形の部屋の中央には吹き抜けがあります。6面のうち4面は本棚となっています。ひとつの本棚は5段で1段には本が32冊収蔵されています。残りの2面はホールに通じています。このホールには2つの入り口があります。ホールの内部の左右には小部屋へと続く扉があります。小部屋のひとつは立ったまま眠ることができる寝室、もうひとつはトイレになっています。このホールから同じ階層の隣の閲覧室に移動することができます。また、上下の閲覧室に移動するための螺旋階段が設置されています。照明はランプという名前の光を放つ果実でもたらされています。

バベルの図書館の構造(想像図)
バベルの図書館の構造(想像図)

 バベルの図書館の構造は下記のサイトに掲載されている図がわかりやすいと思います。

OPEN CULTURE

What Does Jorge Luis Borges’ “Library of Babel” Look Like? An Accurate Illustration Created with 3D Modeling Software

 さてバベルの図書館には、司書・探索係・翻訳者が住んでいます。彼らはバベルの図書館で一生を過ごし、死者は中央の吹き抜けから落とされます。一人の年老いた司書の回想によりバベルの図書館の物語が進んでいきます。

バベルの図書館の所蔵本

 バベルの図書館に所蔵されている本は全て同じサイズで、どの本も1ページあたり80文字×40行で410ページという構成になっています。本に使われている文字は小文字のアルファベット22文字と空白、コンマ、ピリオドの3文字を合わせた25文字しか使われておらず、同じ本は存在しません。

 バベルの図書館はこの25文字の組み合わせからなる文章でできあがった本をすべて収蔵しています。つまり、これまでに出版された本、これから出版される本がすべて所蔵されいるのと同時にでたらめに文字が羅列しているだけの意味のない本も収蔵されています。たとえば全てが同じアルファベット1文字が羅列した本やすべて空白の本などもあるはずですし、シェークスピアの作品も収蔵されているはずです。でたらめに文字が並んだ本が多いはずですから、バベルの図書館に収蔵されている本の大半は意味のない本ということになります。

バベルの図書館の所蔵数

 バベルの図書館に所蔵されている本の数は文字の組み合わせで考えることができます。1冊の本は80文字×40行×410ページ=1,312,000文字から成ります。

 使われている25文字の組み合わせでできる本の数は25を1,312,000回掛け算した数字になります。つまり、251312000 冊となります。

 これを普通の電卓で計算しようとするとオーバーフローでエラーになってしまいますが、計算サイトでは計算できます。答えは

 1.95603991760133212911×101834097 冊

 となります。

 バベルの図書館にはとんでもない数の本が所蔵されていることになります。

バベルの図書館の所蔵本はどのようにして作られたか

 バベルの図書館の所蔵本はすべて25文字の組み合わせでできています。でたらめに文字が羅列した本が多数あるということは、これらの本は乱数で文字を発生して並べて作られたと考えられます。

 それではシェークスピアのような作品ができあがる確率はどれぐらいでしょうか。確率は0ではありませんが、作品ができあがる可能性はかなり低く奇跡に近いでしょう。つまり、バベルの図書館に意味の通じる本が収蔵されているのは奇跡的なことで、いったいどれぐらいの時間をかけて意味の通じる所蔵本ができあがるのか想像がつきません。

 乱数で文字列を発生し一冊の意味ある本ができあがる確率は「無限の猿定理」で考えることができます。「無限の猿定理」についてはまたの機会に紹介することにしましょう。

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2020年7月15日 (水)

世界の大思想〈第2巻〉アリストテレス ニコマコス倫理学/デ・アニマ(霊魂について)/詩学 (1966年)

世界の大思想〈第2巻〉アリストテレス ニコマコス倫理学/デ・アニマ(霊魂について)/詩学 (1966年)

高田 三郎 (翻訳), 村治 能就 (翻訳)

 別館「光と色と THE NEXT」において、「アリストテレスの変改説(変容説・変化説)」について解説しました。変改説の基本的な考えは、アリストテレスの著書『Περὶ Ψυχῆς(ラテン語:デ・アニマ、和名:霊魂論/魂について/心とは何か)英語名:On the soul』に記述があります。アリストテレスはこの本の第二巻において感覚を取りあげ、第7章で視覚と色について言及しています。

 この本は『Περὶ Ψυχῆς(デ・アニマ)』の訳本です。このような本の訳本は日本語も非常にわかりにくいのですが、この本はわかりやすい日本語で記述されており、アリストテレスが自然科学について、どのように捉えていたのか理解することができます。

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-: 437ページ
出版社: 河出書房新社 (1966)
ASIN: B000JBC0NU
発売日: 1966
梱包サイズ: 19.3 x 13.5 x 2.8 cm

目次

第2巻 - 全12章
第1章 - プシュケーの共通定義
第2章 - プシュケーの諸性質と正しい定義
第3章 - プシュケーの諸能力
第4章 - 諸能力の研究上の順序
第5章 - 感覚についての一般的規定
第6章 - 感覚対象の種類
第7章 - 視覚と色
第8章 - 聴覚と音
第9章 - 嗅覚と臭い
第10章 - 味覚と味
第11章 - 触覚
第12章 - 諸感覚の一般的性格

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2020年5月25日 (月)

テセウスの船のパラドックス

テセウスの船のパラドックスは認識論的な問題

 「テセウスの船のパラドックス」は「テセウスのパラドックス」とも呼ばれます。ドラマ「テセウスの船」の最終回で、佐野文吾が「テセウスの船」について次のように語りながら、ドラマの幕が閉じていきます。「テセウスの船」はどのようなパラドックスなのか問題なのか考えてみましょう。

ギリシア神話に「テセウスの船」というエピソードがある。戦に勝利した英雄テセウスの船を後世に残すため、朽ちた木材は次々と交換され、やがて全ての部品が新しいものに取り替えられた。さて、ここで矛盾が生じる。この船は最初の船と同じと言えるのだろうか。船は完全に生まれ変わり、古い記憶は薄れていく。でも俺たちはいつまでもずっ〜っと家族だ。

 「テセウスの船」は最後のギリシャ人と呼ばれたローマ帝国のギリシャ人伝記作家・随筆家のプルタルコスが英雄伝(対比列伝)に書き記したギリシア神話の伝説です。

プルタルコス
プルタルコス

 テセウス(テーセウス)はギリシア神話に登場するアテナイ(現アテネ)の王で英雄です。クレタでの怪物ミノタウルス(牛頭人身の怪物)の退治をはじめとする多くの冒険をしました。

ミノタウルスを倒すテセウス
ミノタウルスを倒すテセウス

 テセウスの船は、英雄テセウスがアテネの若者たちとクレタから帰還したときに乗艦していた船です。アテネの人々はこの船をファレロンのデメトリオスの時代(紀元前307年ぐらい)までこの船を保存しました。この過程において、人々はこの船の朽ちた木材を新しい木材に置き換え、船の補修を続けました。やがて、全ての部品が新しい部品に置き換えられました。

 この船は哲学者の間で、万物の根元や真理の追求するうえで、かっこうの議論の的となりました。ある者は、その船は全て部品が置き換えられのだから、もはや元の船と同じものとは言えないと主張し、またある者は部品が全て置き換えられても船は同じものだと主張しました。

 プルタルコスは、船の全ての部品が置き換えられたとき、その船がもとの同じ船と言えるのだろうか、取り除いた元の古い部品から別の船を作った場合、どちらが「テセウスの船」なのかという認識論的な問題を投げかけています。認識論は、知識・認識の本質・起源・根拠などを究明する哲学のことです。

古代ギリシア自然哲学の幕開け

 古代の人々にとって、この世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは、神々の存在だったに違いありません。しかし、神々による天地創造のような説明は、地域や文化によって内容や解釈が変わり、普遍的なものにはなり得なかったのです。

 紀元前6世紀頃、現在のトルコの南西部に存在したイオニアにミレトスという古代ギリシアの植民都市が栄えていました。地中海交易の拠点であったミレトスには、まわり国々から多くの人々が訪れ、異文化交流が進みました。知識の交流によって、人々がそれまで信じていた世界観や価値観が多様化し、古代ギリシアの人々が信じていたオリンポス神話が崩れていきました。

紀元前5~6世紀頃のギリシャ周辺

 このような変化の中で、人々は普遍的な真理の追求を行うようになり、これが哲学となりました。例えば、ギリシア神話では、地震は海神ポセイドンが引き起こすと考えられていましたが、哲学者タレスは、神話を排除し、大地を支える水が振動すると地震が起きるという説を唱えました。

 自然哲学はミレトスで始まったと考えられており、ここで活躍した哲学者たちをミレトス学派と呼びます。やがて、自然哲学はイオ二ア全体に広がり、この地方の哲学者たちはイオニア学派と呼ばれるようになりました。

 後に活躍したアリストテレスはイオニア学派の哲学者たちを「自然について語る者(フィシオロゴイ)」と呼びました。なお、ミレトス学派はイオニア学派に属しますが、思想の違いから、一般に両派は区別されます。

万物の根元は何か

 ミレトス学派の哲学者タレスは、私たちの身の回りに存在するすべてのものは水が姿を変えたものであると考え、万物の根源は水であると唱えました。すべてのものは水から生まれ、そして滅ぶと水に返っていくと考えたのです。タレスが万物の根源を水とした理由は、水が液体、気体(水蒸気)、固体(氷)とその姿を柔軟に変えることができ、また水が生命にとって必要不可欠なものだったからです。世界は水のように生命に欠かすことのできない流動的なものでできていると考えたのです。

タレス 万物の根元は水
タレス

 タレスの弟子のアナクシマンドロスは、万物の根源のことを「アルケー」と名付けました。そして、彼は、アルケーは何からできているのかを説明する必要がある実体的な物質であるはずがないと考え、アルケーは無限なもの「ト・アペイロン」であると唱えました。「ト・アペイロン」は、変化することがなく、常に新しい物質を生みだし続けるものです。しかし、そのアナクシマンドロスの弟子のアナクシメネスは、アルケーは空気(息)であると唱えています。

 このように、タレスを始めとするミレトス学派の哲学者たちが唱えた万物の根源は多様でしたが、彼らが自然哲学の誕生に果たした重要な役割は「万物の根源は何か」という問いそのものを導き出したことに他なりません。彼らは、物質が何からできているかについて、神学的でもなく、宗教的でもない、誰にでも合理的に説明することが可能な真理は何かという視点で答えを求めたのです。

世界は絶えず変化するもの

 物質が何からできているのかという問いは、世界はどのようにできているのかという視点に広がりました。そして、哲学者たちは、世界が変化しているのかどうかを論じるようになりました。

 イオニア学派のヘラクレイトスは、万物は流転し、世界は絶えず変化していると唱えました。ヘラクレイトスが唱えた「万物は流転する」はギリシャ語で「パンタ・レイ」といいます。

 ヘラクレイトスはこの説明のひとつの例として「同じ川には二度と入ることはできない」と述べています。昨日も今日も、川には水が絶えず流れていますが、昨日と今日とでは流れている水が異なります。そういう意味で、昨日の川と今日の川は、見た目は同じでも、違う川だと考えたのです。極端に言えば、1秒前に川に足を入れたときと、1秒後に川に足を入れたときでは、流れている水が異なるのだから、もはや同じ川ではないということです。そして、ヘラクレイスは、世界は川と同じように、絶えず変化しながら同じ姿を保っていると唱えたのです。

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ヘラクレイトス

 このヘラクレイトスの「同じ川には二度と入ることはできない」の問題は、プルタルコスの「テセウスの船」の問題と本質的に同じものと言えるでしょう。川は川を作る水が全て入れ替わっており、船は船を作る木材が全て入れ替わっています。

 川や船は変化しながら同じ姿を保っていますが、中身が入れ替わってしまった川や船は、昨日の川や最初の船とはもはや違うものということになるでしょう。昨日の川や最初の船が違うものなのに、川や船は同じものとしたら、矛盾が生じるのではないでしょうか。どのように考えたら良いのでしょうか。

 さて、ヘラクレイトスは、世界は変化するが、その背後には絶えず変化する世界をつなぐ「ロゴス」という法則があると考え、万物の根源アルケーは火であると唱えています。すべてのものは火から生まれ、火に返っていくと考えました。

 アルケーを火とした理由は、火があらゆるものを焼きつくしても、同じ姿を保ち続けるからです。さらに、世界は、闘争や対立が繰り返されて変化し続けているとし、その象徴が火であると考えました。そして、闘争で何かが失われれば、別なところでその反対の何かが生まれ、世界は調和すると考えました。世界は変化するからこそ、安定もするのだと考えたのです。

あるものはあり、あらぬものはあらぬ

 南イタリアの都市エレアのエレア学派のパルメニデスは、ヘラクレイトスの万物は流転し、世界は絶えず変化するという考えに異論を唱えています。パルメニデスは、世界の成り立ちは変化ではなく、存在で捉えるべきだと考えました。そして、私たちが、見たり、感じたりすることができるような水や火などの実体的なものをアルケーとすることは、世界の成り立ちの理解に誤解を生じさせると主張しました。

パルメニデス あるものはあり あらぬものはあらぬ
パルメニデス

 パルメニデスは、世界が絶えず変化しているのは、私たちが世界を感覚や感性で捉えているからだと考えました。そして、感覚や感性は人それ
ぞれで異なり、普遍的なものではないのだから、私たちは感覚や感性に頼るべきでなく、理性によって論理的に世界を捉えるべきだと考えたのです。

 例えば、目の前にある鉄の塊を半分に割り、その半分をまた半分に割るという操作を繰り返していくと、鉄の塊はどんどん小さくなり、やがて見えなくなります。これを感覚や感性に従って捉えると、鉄の塊はなくなったことになります。

 しかし、理性に従って捉えると、鉄の塊は見えなくなっただけで、なくなったわけではありません。何もないところから、鉄の塊が生まれてくるはずがありませんし、鉄の塊が木材の塊に変化してしまうこともありません。

 このような考えから、パルメニデスは「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」と述べています。

 私たちが感覚や感性で捉えている世界は絶えず変化を続けています。その変化とは、あるものがないものになったり、ないものがあるものになったりすることです。しかし、パルメニデスはその変化も理性的にとらえれば、あるものがないものになったり、ないものがあるものになったりするはずがないと考え、変化を否定したのです。そして、真に存在するものは不生不滅であり、分割不可能で唯一であると結論づけたのです。

 このようにして、パルメニデスをはじめとするエレア学派の哲学者たちは、ものごとを感覚や感性で捉えることを拒絶し、理性的に捉えることで真理の追究をしていったのです。

テセウスの船は同じものか

 パルメニデスのヘラクレイトスが唱えた川に対する主張は、「川の水は確かに流れているが、川の存在は確実であり、川の存在を否定することはできない。川が存在するからこそ、川があるのであって、川がなければ川はない。川の流れの変化は、私たちが感覚や感性で捉えているものに過ぎない」となります。

 川の水がたえず入れ換わっているのは事実ですが、だからといって私たちは川の名前を変えたりすることはしません。それは、川の水の入れ換わりを理性的に捉えているからでしょう。

 テセウスの船も船を作る材料が全て変わってしまったとしても、テセウスが使った船であるということは変わりません。前述のパルメニデスの川に対する主張をテセウスの船に置き換えてみると、「テセウスの船の材料は確かに全て入れ換わっているが、テセウスが使った船の存在は確実であり、テセウスの船の存在を否定することはできない。テセウスの船が存在するからこそ、テセウスの船があるのであって、テセウスの船がなければテセウスの船はない。テセウスの船の材料の入れ換えは、私たちが感覚や完成で捉えているものに過ぎない」ということになります。

 ドラマのテセウスの船は、現代から1989年に戻った田村心が父親の佐野文吾の無実を証明し、佐野家の未来を変えました。それにより、1989年から現代までの佐野文吾の家族の成り立ちが全て違う状況となりました。事件以降、田村姓を名乗っていた家族はおらず、全員が佐野家の家族となっています。いろいろなことがあり家族の成り立ちが変わったが、結論としては、佐野文吾の家族は佐野文吾の家族であるということでしょう。

 ところで、心が1989年に戻って佐野文吾の無実を証明し、そして佐野文吾を守るために死亡したことは佐野家の家族全員が知っていたはずです。生まれてきた次男を心と名付けた経緯も家族全員が知っていたはずです。佐野文吾しか知らなかったことは、1989年に死亡した心が自分の息子だったこと、そして、その心から聞いた未来の佐野家の不幸な状況です。佐野文吾は1989年から現代まで刑務所に収監されていた記憶はないはずです。生まれてきた心は、自分が違う世界で1989年に現れることになった心であることも、1989年当時に何が起きたのかも知りません。

 原作では、1989年に死亡した心の命日に家族が墓参りをするシーンがあります。そこで1989年の心の写真を見た長男の慎吾が、弟の心が1989年に現れた心に似ていると話をしている描画があります。心以外の家族全員は1989年の心の記憶をしっかりともっていたようです。

 いずれにしろ、佐野家は1989年以降のプロセスは変わりましたが、家族を構成する一人一人は生き様が変わったものの、人そのものは変わっていないません。本当にテセウスの船と同じでしょうか。

 いやいや、家族一人一人を作る細胞は入れ換わっているはずで・・・この話は長くなるのでやめておきましょう。

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2020年5月17日 (日)

色彩の科学

色彩の科学 (岩波新書)

金子 隆芳 (著)

 初版1988年でいまだ新品で購入できます。自分の手元の本は2010年第10版でした。これだけ長く販売され続けている理由はこの本を読んでみればわかります。

 ニュートンの色彩論を皮切りに色彩の科学を、その発展の歴史とともに解説していきます。原著論文までしっかりと参照されており、ニュートン、ヤング、マクスウェル、ヘルムホルツなど色彩学の発展に関わる当時の科学者たちがたくさん登場し、彼らが実際に実験に用いた装置の写真や図が丁寧な説明とともに掲載されています。そして、現代色彩論の解説と展開しています。第9章「ゲーテの色の現象学」、第10章「ヘリングの心理学的色覚説」、第11章「物体色の色彩論」で色の本質にせまります。

 色彩を勉強する人にはおすすめの一冊です。

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 内容(「BOOK」データベースより)

 豊かな色彩に囲まれた私たちの世界。だが「色が見える」とはどういうことなのだろうか?ニュートンやゲーテの色彩論以来、さまざまな人々がこの問題に取り組んできた。それらの成果を踏まえて、色覚異常や動物の色覚からイマジナリー・カラー、色ベクトルなどの最新理論まで、多岐にわたる色彩の世界を、物理学・心理学の両面から論じる。

新書: 220ページ
出版社: 岩波書店 (1988/10/20)
言語: 日本語
ISBN-10: 4004300444
ISBN-13: 978-4004300441
発売日: 1988/10/20
梱包サイズ: 17.2 x 10.4 x 1.2 cm

目次

1 ニュートン色彩論
2 色覚の三史
3 ヘルムホルツ三色説
4 測色学の祖・マクスウェル
5 現代色彩論の基本思想
6 現代色彩論のXYZ
7 ヘルムホルツ三原色と色覚異常
8 動物の色覚・処女開眼者の色覚
9 ゲーテの色の現象学
10 ヘリングの心理学的色覚説
11 物体色の色彩論
12 カラー・オーダー・システム

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2013年4月28日 (日)

背理法 存在しないことを証明する

 古代ギリシャの哲学者であり、エレア派の始祖でもあるパルメニデスの養子にゼノンという哲学者がいました。ゼノンはパルメニデスの思想が世の中で受け入れられないことを嘆き、師の考えに対する異論に反論し、師を擁護するための論法を考えました。

 ゼノンが考え出した方法は「背理法」です。背理法は、相手が真とする命題をひとまず真と仮定して論理を展開し、真と仮定したことによって生じる矛盾を導き出すことによって、相手の命題が成り立たないことを証明する方法です。

 自分が真とする命題を証明する立場で考えると、自分の命題の否定を真と仮定することにより導き出される矛盾を示すことによって、自分の命題が真であると結論づけることになります。

 背理法について、簡単な例で考えてみしょう。昆虫とクモは節足動物の仲間ですが、昆虫は節足動物昆虫類、クモは節足動物クモ類に属します。クモが昆虫ではないことを背理法で証明してみましょう。

 まず、「クモは昆虫ではない」の否定である「クモは昆虫である」を真の命題として、次の図のように論理
を展開します。

Photo

 このように、昆虫とクモの構造を比較すると、矛盾が生じることから、「クモは昆虫である」という仮定が成り立たないことを示すことができ、もとの命題「クモは昆虫ではない」を証明することができます。

 ところで、昆虫とクモの足の数について、

① クモは足が8本ある
② 昆虫はクモではない
③ よって、昆虫の足は8本ではない

 

という証明はできるでしょうか。実は、この証明はできません。昆虫をタコに入れ替えてみてください。タコは昆虫ではありませんが、足は8本あります。このように条件の設定や手順を間違えると、証明ができなくなります。

 

また、命題と条件によっては目的の証明ができずに迷宮入りしてしまう可能性もあります。背理法を使うときには、このような状況に陥らないように注意する必要があります。

 

 

 

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2013年3月 3日 (日)

自然哲学の始まり

 世界中に多くの天地創造の神話があることからわかるとおり、古代の人々にとって、この世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは、神々の存在だったでしょう。しかし、神々による天地創造のような説明は、地域や文化によって内容や解釈が変わり、普遍的なものではありませんでした。

 紀元前6世紀頃、現在のトルコの南西部に存在したイオニアにミレトスという古代ギリシャの植民都市が栄えていました。

紀元前5~6世紀頃のギリシャ周辺の国々

Map

 当時、ミレトスは地中海交易の拠点で、様々な国から多くの人々が訪れ、異文化交流が進みました。すると、人々がそれまで信じていた世界観や価値観は、崩れ始め、多様化し、混乱しました。古代ギリシャの人々にとっては、彼らが信じていたオリンポスの神話が崩れていくことになりました。

 そのような中で、普遍的な真理の追求が行われるようになり、これが哲学となりました。例えば、古代ギリシャでは、地震は海神ポセイドンによって引き起こされると考えられていましたが、哲学者タレスは神による説明を排除し、大地を支える水が振動するから地震が起きるという説を唱えました。

 自然哲学はミレトスで始まったと考えられており、ここで活躍した哲学者たちをミレトス学派と呼びます。やがて、自然哲学はイオ二ア全体に広がり、この地方の哲学者たちはイオニア学派と呼ばれるようになりました。

 後に活躍したアリストテレスはイオニア学派の哲学者たちを「自然について語る者(フィシオロゴイ)」と呼びました。なお、ミレトス学派はイオニア学派に属しますが、思想の違いから、一般に両派は区別されます。

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