古代ギリシャ

2020年7月15日 (水)

世界の大思想〈第2巻〉アリストテレス ニコマコス倫理学/デ・アニマ(霊魂について)/詩学 (1966年)

世界の大思想〈第2巻〉アリストテレス ニコマコス倫理学/デ・アニマ(霊魂について)/詩学 (1966年)

高田 三郎 (翻訳), 村治 能就 (翻訳)

 別館「光と色と THE NEXT」において、「アリストテレスの変改説(変容説・変化説)」について解説しました。変改説の基本的な考えは、アリストテレスの著書『Περὶ Ψυχῆς(ラテン語:デ・アニマ、和名:霊魂論/魂について/心とは何か)英語名:On the soul』に記述があります。アリストテレスはこの本の第二巻において感覚を取りあげ、第7章で視覚と色について言及しています。

 この本は『Περὶ Ψυχῆς(デ・アニマ)』の訳本です。このような本の訳本は日本語も非常にわかりにくいのですが、この本はわかりやすい日本語で記述されており、アリストテレスが自然科学について、どのように捉えていたのか理解することができます。

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-: 437ページ
出版社: 河出書房新社 (1966)
ASIN: B000JBC0NU
発売日: 1966
梱包サイズ: 19.3 x 13.5 x 2.8 cm

目次

第2巻 - 全12章
第1章 - プシュケーの共通定義
第2章 - プシュケーの諸性質と正しい定義
第3章 - プシュケーの諸能力
第4章 - 諸能力の研究上の順序
第5章 - 感覚についての一般的規定
第6章 - 感覚対象の種類
第7章 - 視覚と色
第8章 - 聴覚と音
第9章 - 嗅覚と臭い
第10章 - 味覚と味
第11章 - 触覚
第12章 - 諸感覚の一般的性格

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2020年5月25日 (月)

テセウスの船のパラドックス

テセウスの船のパラドックスは認識論的な問題

 ドラマ「テセウスの船」の最終回で、佐野文吾が「テセウスの船」について次のように語りながら、ドラマの幕が閉じていきます。「テセウスの船」はどのような問題なのか考えてみましょう。

ギリシア神話に「テセウスの船」というエピソードがある。戦に勝利した英雄テセウスの船を後世に残すため、朽ちた木材は次々と交換され、やがて全ての部品が新しいものに取り替えられた。さて、ここで矛盾が生じる。この船は最初の船と同じと言えるのだろうか。船は完全に生まれ変わり、古い記憶は薄れていく。でも俺たちはいつまでもずっ〜っと家族だ。

 「テセウスの船」は最後のギリシャ人と呼ばれたローマ帝国のギリシャ人伝記作家・随筆家のプルタルコスが英雄伝(対比列伝)に書き記したギリシア神話の伝説です。

プルタルコス
プルタルコス

 テセウス(テーセウス)はギリシア神話に登場するアテナイ(現アテネ)の王で英雄です。クレタでの怪物ミノタウルス(牛頭人身の怪物)の退治をはじめとする多くの冒険をしました。

ミノタウルスを倒すテセウス
ミノタウルスを倒すテセウス

 テセウスの船は、英雄テセウスがアテネの若者たちとクレタから帰還したときに乗艦していた船です。アテネの人々はこの船をファレロンのデメトリオスの時代(紀元前307年ぐらい)までこの船を保存しました。この過程において、人々はこの船の朽ちた木材を新しい木材に置き換え、船の補修を続けました。やがて、全ての部品が新しい部品に置き換えられました。

 この船は哲学者の間で、万物の根元や真理の追求するうえで、かっこうの議論の的となりました。ある者は、その船は全て部品が置き換えられのだから、もはや元の船と同じものとは言えないと主張し、またある者は部品が全て置き換えられても船は同じものだと主張しました。

 プルタルコスは、船の全ての部品が置き換えられたとき、その船がもとの同じ船と言えるのだろうか、取り除いた元の古い部品から別の船を作った場合、どちらが「テセウスの船」なのかという認識論的な問題を投げかけています。認識論は、知識・認識の本質・起源・根拠などを究明する哲学のことです。

古代ギリシア自然哲学の幕開け

 古代の人々にとって、この世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは、神々の存在だったに違いありません。しかし、神々による天地創造のような説明は、地域や文化によって内容や解釈が変わり、普遍的なものにはなり得なかったのです。

 紀元前6世紀頃、現在のトルコの南西部に存在したイオニアにミレトスという古代ギリシアの植民都市が栄えていました。地中海交易の拠点であったミレトスには、まわり国々から多くの人々が訪れ、異文化交流が進みました。知識の交流によって、人々がそれまで信じていた世界観や価値観が多様化し、古代ギリシアの人々が信じていたオリンポス神話が崩れていきました。

紀元前5~6世紀頃のギリシャ周辺

 このような変化の中で、人々は普遍的な真理の追求を行うようになり、これが哲学となりました。例えば、ギリシア神話では、地震は海神ポセイドンが引き起こすと考えられていましたが、哲学者タレスは、神話を排除し、大地を支える水が振動すると地震が起きるという説を唱えました。

 自然哲学はミレトスで始まったと考えられており、ここで活躍した哲学者たちをミレトス学派と呼びます。やがて、自然哲学はイオ二ア全体に広がり、この地方の哲学者たちはイオニア学派と呼ばれるようになりました。

 後に活躍したアリストテレスはイオニア学派の哲学者たちを「自然について語る者(フィシオロゴイ)」と呼びました。なお、ミレトス学派はイオニア学派に属しますが、思想の違いから、一般に両派は区別されます。

万物の根元は何か

 ミレトス学派の哲学者タレスは、私たちの身の回りに存在するすべてのものは水が姿を変えたものであると考え、万物の根源は水であると唱えました。すべてのものは水から生まれ、そして滅ぶと水に返っていくと考えたのです。タレスが万物の根源を水とした理由は、水が液体、気体(水蒸気)、固体(氷)とその姿を柔軟に変えることができ、また水が生命にとって必要不可欠なものだったからです。世界は水のように生命に欠かすことのできない流動的なものでできていると考えたのです。

タレス 万物の根元は水
タレス

 タレスの弟子のアナクシマンドロスは、万物の根源のことを「アルケー」と名付けました。そして、彼は、アルケーは何からできているのかを説明する必要がある実体的な物質であるはずがないと考え、アルケーは無限なもの「ト・アペイロン」であると唱えました。「ト・アペイロン」は、変化することがなく、常に新しい物質を生みだし続けるものです。しかし、そのアナクシマンドロスの弟子のアナクシメネスは、アルケーは空気(息)であると唱えています。

 このように、タレスを始めとするミレトス学派の哲学者たちが唱えた万物の根源は多様でしたが、彼らが自然哲学の誕生に果たした重要な役割は「万物の根源は何か」という問いそのものを導き出したことに他なりません。彼らは、物質が何からできているかについて、神学的でもなく、宗教的でもない、誰にでも合理的に説明することが可能な真理は何かという視点で答えを求めたのです。

世界は絶えず変化するもの

 物質が何からできているのかという問いは、世界はどのようにできているのかという視点に広がりました。そして、哲学者たちは、世界が変化しているのかどうかを論じるようになりました。

 イオニア学派のヘラクレイトスは、万物は流転し、世界は絶えず変化していると唱えました。ヘラクレイトスが唱えた「万物は流転する」はギリシャ語で「パンタ・レイ」といいます。

 ヘラクレイトスはこの説明のひとつの例として「同じ川には二度と入ることはできない」と述べています。昨日も今日も、川には水が絶えず流れていますが、昨日と今日とでは流れている水が異なります。そういう意味で、昨日の川と今日の川は、見た目は同じでも、違う川だと考えたのです。極端に言えば、1秒前に川に足を入れたときと、1秒後に川に足を入れたときでは、流れている水が異なるのだから、もはや同じ川ではないということです。そして、ヘラクレイスは、世界は川と同じように、絶えず変化しながら同じ姿を保っていると唱えたのです。

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ヘラクレイトス

 このヘラクレイトスの「同じ川には二度と入ることはできない」の問題は、プルタルコスの「テセウスの船」の問題と本質的に同じものと言えるでしょう。川は川を作る水が全て入れ替わっており、船は船を作る木材が全て入れ替わっています。

 川や船は変化しながら同じ姿を保っていますが、中身が入れ替わってしまった川や船は、昨日の川や最初の船とはもはや違うものということになるでしょう。昨日の川や最初の船が違うものなのに、川や船は同じものとしたら、矛盾が生じるのではないでしょうか。どのように考えたら良いのでしょうか。

 さて、ヘラクレイトスは、世界は変化するが、その背後には絶えず変化する世界をつなぐ「ロゴス」という法則があると考え、万物の根源アルケーは火であると唱えています。すべてのものは火から生まれ、火に返っていくと考えました。

 アルケーを火とした理由は、火があらゆるものを焼きつくしても、同じ姿を保ち続けるからです。さらに、世界は、闘争や対立が繰り返されて変化し続けているとし、その象徴が火であると考えました。そして、闘争で何かが失われれば、別なところでその反対の何かが生まれ、世界は調和すると考えました。世界は変化するからこそ、安定もするのだと考えたのです。

あるものはあり、あらぬものはあらぬ

 南イタリアの都市エレアのエレア学派のパルメニデスは、ヘラクレイトスの万物は流転し、世界は絶えず変化するという考えに異論を唱えています。パルメニデスは、世界の成り立ちは変化ではなく、存在で捉えるべきだと考えました。そして、私たちが、見たり、感じたりすることができるような水や火などの実体的なものをアルケーとすることは、世界の成り立ちの理解に誤解を生じさせると主張しました。

パルメニデス あるものはあり あらぬものはあらぬ
パルメニデス

 パルメニデスは、世界が絶えず変化しているのは、私たちが世界を感覚や感性で捉えているからだと考えました。そして、感覚や感性は人それ
ぞれで異なり、普遍的なものではないのだから、私たちは感覚や感性に頼るべきでなく、理性によって論理的に世界を捉えるべきだと考えたのです。

 例えば、目の前にある鉄の塊を半分に割り、その半分をまた半分に割るという操作を繰り返していくと、鉄の塊はどんどん小さくなり、やがて見えなくなります。これを感覚や感性に従って捉えると、鉄の塊はなくなったことになります。

 しかし、理性に従って捉えると、鉄の塊は見えなくなっただけで、なくなったわけではありません。何もないところから、鉄の塊が生まれてくるはずがありませんし、鉄の塊が木材の塊に変化してしまうこともありません。

 このような考えから、パルメニデスは「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」と述べています。

 私たちが感覚や感性で捉えている世界は絶えず変化を続けています。その変化とは、あるものがないものになったり、ないものがあるものになったりすることです。しかし、パルメニデスはその変化も理性的にとらえれば、あるものがないものになったり、ないものがあるものになったりするはずがないと考え、変化を否定したのです。そして、真に存在するものは不生不滅であり、分割不可能で唯一であると結論づけたのです。

 このようにして、パルメニデスをはじめとするエレア学派の哲学者たちは、ものごとを感覚や感性で捉えることを拒絶し、理性的に捉えることで真理の追究をしていったのです。

テセウスの船は同じものか

 パルメニデスのヘラクレイトスが唱えた川に対する主張は、「川の水は確かに流れているが、川の存在は確実であり、川の存在を否定することはできない。川が存在するからこそ、川があるのであって、川がなければ川はない。川の流れの変化は、私たちが感覚や感性で捉えているものに過ぎない」となります。

 川の水がたえず入れ換わっているのは事実ですが、だからといって私たちは川の名前を変えたりすることはしません。それは、川の水の入れ換わりを理性的に捉えているからでしょう。

 テセウスの船も船を作る材料が全て変わってしまったとしても、テセウスが使った船であるということは変わりません。前述のパルメニデスの川に対する主張をテセウスの船に置き換えてみると、「テセウスの船の材料は確かに全て入れ換わっているが、テセウスが使った船の存在は確実であり、テセウスの船の存在を否定することはできない。テセウスの船が存在するからこそ、テセウスの船があるのであって、テセウスの船がなければテセウスの船はない。テセウスの船の材料の入れ換えは、私たちが感覚や完成で捉えているものに過ぎない」ということになります。

 ドラマのテセウスの船は、現代から1989年に戻った田村心が父親の佐野文吾の無実を証明し、佐野家の未来を変えました。それにより、1989年から現代までの佐野文吾の家族の成り立ちが全て違う状況となりました。事件以降、田村姓を名乗っていた家族はおらず、全員が佐野家の家族となっています。いろいろなことがあり家族の成り立ちが変わったが、結論としては、佐野文吾の家族は佐野文吾の家族であるということでしょう。

 ところで、心が1989年に戻って佐野文吾の無実を証明し、そして佐野文吾を守るために死亡したことは佐野家の家族全員が知っていたはずです。生まれてきた次男を心と名付けた経緯も家族全員が知っていたはずです。佐野文吾しか知らなかったことは、1989年に死亡した心が自分の息子だったこと、そして、その心から聞いた未来の佐野家の不幸な状況です。佐野文吾は1989年から現代まで刑務所に収監されていた記憶はないはずです。生まれてきた心は、自分が違う世界で1989年に現れることになった心であることも、1989年当時に何が起きたのかも知りません。

 原作では、1989年に死亡した心の命日に家族が墓参りをするシーンがあります。そこで1989年の心の写真を見た長男の慎吾が、弟の心が1989年に現れた心に似ていると話をしている描画があります。心以外の家族全員は1989年の心の記憶をしっかりともっていたようです。

 いずれにしろ、佐野家は1989年以降のプロセスは変わりましたが、家族を構成する一人一人は生き様が変わったものの、人そのものは変わっていないません。本当にテセウスの船と同じでしょうか。

 いやいや、家族一人一人を作る細胞は入れ換わっているはずで・・・この話は長くなるのでやめておきましょう。

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2013年4月28日 (日)

背理法 存在しないことを証明する

 古代ギリシャの哲学者であり、エレア派の始祖でもあるパルメニデスの養子にゼノンという哲学者がいました。

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 ゼノンはパルメニデスの思想が世の中で受け入れられないことを嘆き、師の考えに対する異論に反論し、師を擁護するための論法を考えま した。

 ゼノンが考え出した方法は「背理法」です。背理法は、相手が真とする命題をひとまず真と仮定して論理を展開し、 真と仮定したことによって生じる矛盾を導き出すことによって、相手の命題が成り立たないことを証明する方法です。

 自分が真とする 命題を証明する立場で考えると、自分の命題の否定を真と仮定する ことにより導き出される矛盾を示すことによって、自分の命題が真であると結論づけることになります。

 背理法について、簡単な例で考えてみしょう。 昆虫とクモは節足動物の仲間ですが、昆虫は節足動物昆虫類、クモは節足動物クモ類に属します。クモが昆虫ではないことを背理法 で証明してみましょう。

 まず、「クモは昆虫ではない」の否定である「クモは昆虫である」を真の命題として、次の図のように論理 を展開します。

Photo

 このように、昆虫とクモの構造を比較すると、矛盾が生じることから、「クモは昆虫である」という仮定が成り立たないことを示すことができ、もとの命題「クモは昆虫ではない」を証明することができます。

ところで、昆虫とクモの足の数について、

① クモは足が8本ある
② 昆虫はクモではない
③ よって、昆虫の足は8本ではない

という証明はできるでしょうか。実は、この証明はできません。昆虫をタコに入れ替えてみてください。タコは昆虫ではありませんが、足は8本あります。このように条件の設定や手順を間違えると、証明ができなくなります。

また、命題と条件によっては目的の証明ができずに迷宮入りしてしまう可能性もあります。背理法を使うときには、このような状況に陥らないように注意する必要があります。

 

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2013年3月 3日 (日)

自然哲学の始まり

 世界中に多くの天地創造の神話があることからわかるとおり、古代の人々にとって、この世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは、神々の存在だったでしょう。しかし、神々による天地創造のような説明は、地域や文化によって内容や解釈が変わり、普遍的なものではありませんでした。

 紀元前6世紀頃、現在のトルコの南西部に存在したイオニアにミレトスという古代ギリシャの植民都市が栄えていました。

紀元前5~6世紀頃のギリシャ周辺の国々

Map

 当時、ミレトスは地中海交易の拠点で、様々な国から多くの人々が訪れ、異文化交流が進みました。すると、人々がそれまで信じていた世界観や価値観は、崩れ始め、多様化し、混乱しました。古代ギリシャの人々にとっては、彼らが信じていたオリンポスの神話が崩れていくことになりました。

 そのような中で、普遍的な真理の追求が行われるようになり、これが哲学となりました。例えば、古代ギリシャでは、地震は海神ポセイドンによって引き起こされると考えられていましたが、哲学者タレスは神による説明を排除し、大地を支える水が振動するから地震が起きるという説を唱えました。

 自然哲学はミレトスで始まったと考えられており、ここで活躍した哲学者たちをミレトス学派と呼びます。やがて、自然哲学はイオ二ア全体に広がり、この地方の哲学者たちはイオニア学派と呼ばれるようになりました。

 後に活躍したアリストテレスはイオニア学派の哲学者たちを「自然について語る者(フィシオロゴイ)」と呼びました。なお、ミレトス学派はイオニア学派に属しますが、思想の違いから、一般に両派は区別されます。

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