√2が開いた科学の扉
異端視されたデモクリトスの原子論
世の中のすべてのものが原子と原子の結びつきからなるという原子論を唱えたデモクリトスは、唯物論者であり、また機械論者でもありました。デモクリストスはこの世界に存在するものや事象はすべて必然の結果であるとし、その対象は人間の思考や行動にまで及ぶと考えました。人間の肉体は原子からなるのだから、人間の思考や行動が未来でどうなるかは予め決められており、筋書き通りになると考えたのです。
このような機械論的な思想は原子論の流布の妨げになりました。実際、その後の古代ギリシャ哲学は、プラトンやアリストテレスの人間主義的な思想が主流となりました。デモクリトスの原子論は封印され、四元素説が広まりました。
万物の根源は数としたピタゴラス
デモクリトスはピタゴラスを崇拝し、ピタゴラス学派の思想を受け継いだとされています。
一般に、ピタゴラスは数学者と知られていますが、実際には新興宗教ピタゴラス教団の開祖でした。この教団は、霊魂は不滅であり、あの世に旅立った霊魂は、この世に生まれ変わるという輪廻転生の考えを持っていました。そして、宇宙は厳格な法則で成立していると考え、輪廻転生から解脱し、魂を肉体の支配から解放するには、その法則を深く理解する必要があると考えました。
やがて、ピタゴラス学派の哲学者たちは天文学や音楽から宇宙の法則を考えるようになりました。たとえば、天文学では、月の満ち欠けや、星座の動きには法則があると考えました。
音楽の分野では、一本の弦を奏でたときに鳴る音の規則性を発見しています。ドの音が鳴る弦の1/2を押さえて弾くと1オクターブ高いドが鳴り、2/3を弾くとソが鳴り、3/4を弾くとファがなります。弦が美しい音を奏でるのは数の比が関係しているに違いないと考えました。
このような結果から、彼らは、この世界は数の比で秩序づけられており、美しく調和していると考えました。そして、数の比の関係を神聖な数と考えられていた10と関連づけ、テトラクテュスという図で示しました。テトラクテュスは頂点が1つ、2列目が2つ、3列目が3つ、4列目が4つの点から成る図形です。単純な整数の比によって美しい正三角形ができることを示しています。
そして、この調和をハルモニアと呼び、宇宙の本質は数の比であり、すべてのものは数に置き換えられると考え、「万物の根源は数である」と結論づけたのです。
すべてが数の比で表すことができるのか
ピタゴラス学派の哲学者たちは、ハルモニアが数の比でもたらされるならば、この世に存在するものは、それ以上分割できない最小単位からなると考えました。そして、この考えを空間や時間にも適用し、それらも最小単位からなると考えました。彼らは、世界は、数と数の比で表すことができる美しいものであると考えたのです。
ところが、ピタゴラスの弟子のヒッパソスは、ピタゴラスの定理を考えているうちに、数と数の比で表せない数があることを発見しました。彼は二乗すると2となる数字を数の比で表そうと試みましたが、それが絶対に無理であることに気がつきました。
ヒッパソスはこのことをピタゴラスに伝えましたが、ピタゴラスは彼の発見が教団の考えを覆すことを直ちに理解し、彼に決して口外してはならぬと命じました。真偽はともかく、この発見を闇に葬るためヒッパソスが殺されたという説もありますから、ピタゴラスはこの発見に驚愕し、警戒したのは間違いないようです。
ヒッパソスが見い出した数と数の比で表せない数とは√2のことですが、√2そのものは彼が発見したわけではありません。紀元前2千年のメソポタミアで栄えたバビロニアの遺跡から発掘された石版にその近似値が六十進法で記述されています。また、古代の人々はロープを使って次のオ図のような手順で平方根を作図できたと考えられます。
実数が科学の扉を開いた
数には分数で表せる有理数と、分数で表せない無理数があります。ヒッパソスが「世界で初めて発見した数」とは無理数のことです。
有理数は1/2や3/4など分数で表すことができます。2/3は割り切れず0.6666…と6が無限に続く小数ですが、整数の比で表せるので有理数です。2/7は0.285714285714…と285714が繰り返し続きますが、これも整数の比で表せるので有理数です。
一方、無理数は分数で表すことができない数です。その例には√2や√3、円周率πや自然対数の底eなどがあります。これらの数字は繰り返しのパターンがなく、無限に続く小数です。
√2 = 1.41421356237309504880・・・
√3 = 1.73205080756887729352・・・
π = 3.14159265358979323846・・・
e = 2.71828182845904523536・・・
ヒッパソスが無理数を発見したとき、哲学者たちは混乱しました。しかし、彼らは、やがてその混乱から脱却し、有理数と無理数を合わせた実数という概念を作り上げました。
実数の概念は数学を発展させることになり、科学を発展させることにもなりました。数学を使えば、物体の運動など多くの現象を数で表すことができます。また数学からの新発見もあります。たとえば、マクスウェルは、電磁波が発見される20年も前に、数学で電磁波の存在を予測しています。アインシュタインも数学で相対性理論を導き出しました。そして、現在の科学者たちは素粒子の世界を数学を駆使して解明しようとしているのです。
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