飛び飛びのエネルギー|量子力学の幕開け(3)
プランクのエネルギー量子仮説
ドイツの物理学者マックス・プランクはレイリー・ジーンズの式とヴィーンの式を組み合わせると黒体放射スペクトルをより正確に再現できると考え、試行錯誤の末、1900年にプランクの法則を導き出しました。
プランクは光のエネルギーは波のように連続的に変化するのではなく、1個、2個と数えられる粒子のように飛び飛びに変化すると考えました。そして、ある振動数の光が担うことのできるエネルギーは、光の振動数にある定数をかけた値を最小単位として、その整数倍になるというエネルギー量子仮説を提唱しました。この定数は後にプランク定数と呼ばれるようになります。プランク定数に振動数をかけたhνをエネルギー量子と呼びます。こうしてプランクは黒体放射スペクトルに極大値が現れる理由を説明しました。
エネルギー量子仮説によると、光はhν単位でしかエネルギーをやり取りできません。ここで、図6に示すように、ある大きさのエネルギーEをさまざまな振動数の光に分配することを考えてみましょう。振動数が大きくなると、hν単位も大きくなりますから、振動数の小さい光の方がより多くのhν単位でEを担うことになります。Eの分配が進んで、残りのエネルギーがhνより小さくなると、光はエネルギーを担えなくなります。また、hνがEより大きい光は、最初からエネルギーを担うことができません。このように、さまざまな振動数の光にEを分配しようとすると、ある振動数から分配できなくなるのです。また、Eの大きさによって、効率的にエネルギーを担える振動数が異なります。そのため、黒体放射スペクトルに極大値が現れることになるのです。
当時の物理学-古典物理学-によれば、光の波のエネルギーは連続的に変化するという考え方が常識でした。ですから、エネルギーが飛び飛びに変化するプランクのエネルギー量子仮説は古典物理学の常識を根底から覆す発見だったのです。プランクが見い出した仮説は後年アインシュタインやニールス・ボーアなどによって確立されていく量子力学の基礎となりました。この発見が量子論の幕開けとされ、プランクは量子論の父と呼ばれました。しかし、プランク自身は古典物理学を信じて疑うことはなく、自ら導いた仮説に直ちに納得していませんでした。古典物理学とエネルギー量子仮説を結びつける何らかの理論が見つかるだろうと信じて研究を進めたのです。
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