屈折

2020年6月16日 (火)

レンチキュラーレンズで光学迷彩?(3) ものが消えて見える原理と仕組み

 レンチキュラーレンズで鉛筆が消えて見える

 次の写真の右上のように、縦向きに置いた鉛筆のうえに横向きに鉛筆を置きます。これを=の方向にしたレンチキュラーレンズの通して見ると、写真の左のように上に置いたはずの横向きの鉛筆が消えて、下に置いたはずの縦向きの鉛筆が見えます。このままの状態で、写真右下のようにレンチキュラーレンズを90度回転し、‖の方向にすると、縦向きの鉛筆が消えて、横向きの鉛筆が見えます。また、よく見てみると、写真左では、横向きの鉛筆が消えて見えなくなっている部分(縦置きの鉛筆の左右)、写真右下では、縦向きの鉛筆が消えて見えなくなっている部分(横向きの鉛筆の上下)が背景色とい同じオレンジ色になっています。

レンチキュラーレンズで鉛筆が消える
レンチキュラーレンズで鉛筆が消える

レンチキュラーレンズでものが消えて見える理由は、少年写真新聞社理科教育ニュースの2020年5月28日号に解説が掲載されていますが、ここでは、この現象についてもう少し詳しく解説します。さらに理解を深めることができればと思います。

シリンドリカルレンズの虚像

 レンチキュラーレンズによる鉛筆の見え方の変化の現象の基本的原理はシリンドリカルレンズでできる実像です。なぜなら、この現象は、レンチキュラーレンズを鉛筆に密着した状態で見ているときには起きないからです。ですから、上の写真のように、鉛筆が方向によって、見えたり消えたりするのは、レンチキュラーレンズでできる鉛筆の実像を見ていることになります。

 理解を深めるために、まずはひとつのシリンドリカルレンズで見える虚像を考えてみます。シリンドリカルレンズでできる虚像は、曲面がある方向に拡大されます。下の写真はグラフ用紙の真上にシリンドリカルレンズを=の方向に置いたものです。シリンドルカルレンズを=の方向に置いたとき、縦方向には曲面がありますが、横方向には曲面がありません。

レンチキュラーレンズの虚像
レンチキュラーレンズの虚像

 上の写真でレンズの中のグラフを見てみると、縦方向の線の太さや、縦線の間隔には変化がないことがわかります。これは曲面のない横方向で光が屈折しないからです。一方、横方向の線は太くなっており、横線の間隔も広くなっています。レンズの外側では横線は 4 行あるのに、レンズの中では拡大された 2行しか見えていなません。これは、曲面のある縦方向で光が屈折するからです。

 この虚像の現象からは、上の鉛筆が消える写真の現象を説明することはできません。虚像の場合、シリンドリカルレンズを置く方向にかかわらず、縦方向の鉛筆も横方向の鉛筆も消えて見えなくなることはありません。また、上述の通り、鉛筆が消えている部分が背景のオレンジ色になっていますが、虚像ではこのようなことは起こりません。

シリンドリカルレンズの実像

 次にシリンドリカルレンズをグラフ用紙から離し、実像を観察してみます。光が屈折しない方向の縦線の太さや間隔は、虚像のときと同様に変化がありません。一方、横線については、虚像とは異なり、縦方向が圧縮され、たくさんの行が見えています。シリンドリカルレンズでできる実像は光を屈折する方向に直線上に集まるようにできますので、これは理に適っています。

シリンドリカルレンズの実像
シリンドリカルレンズの実像

 また、=の方向に置いたシリンドリカルレンズでできる実像は縦方向が反転していて、横方向はそのままであることに留意しておきましょう。ですから、レンズの中の上側の列は、実際には下の列が見えていて、レンズの中の下側の列は実際の上の列が見えています。下記のようにグラフの上に赤いラインを引くと縦方向が反転していることがわかります。 

 リンドリカルレンズの実像(縦方向反転) 
シリンドリカルレンズの実像(縦方向反転)

さらに、レンズをグラフから離していくと、さらに縦方向が圧縮されて、横線が見えなくなります。ところで、縦方向が詰まっているということは、変化がないように見える縦線も実は縦方向に詰まっているということです。

シリンドリカルレンズの実像
シリンドリカルレンズの実像(横線が見えなくなる)

 次の図はシリンドリカルレンズでできる実像の仕組みを示したものです。シリンドリカルレンズを=の方向に配置すると、横長の物体ABの実像A'B'は、横方向はそのままですが、縦方向が縮んで細い線状となるため、視認しずらくなります。一方、縦長の物体CDの実像C'D'も縦方向に縮みますが、物体が十分に縦長なため、視認できます。レンズを90度回転すると、今度はC'D'が視認できなくなります。

シリンドリカルレンズの実像(模式図)

シリンドリカルレンズの実像(模式図)

 レンチキュラーレンズの各々のレンズの実像は反転していますが、微小な領域のため全体として見たときには反転して見えません。また、横置きの鉛筆の下側にある縦置き鉛筆が前面にあるように見えるのは、レンチキュラーレンズに物体を引き延ばして見せる効果があるからです。レンチキュラーレンズで鉛筆の端の方を観察すると、鉛筆が伸びて見えることがわかります。

 このことを確認するためパソコンで画像を作成して次のような確認をしてみました。

パソコンで次のような絵を描き(左)、これをレンチキュラーレンズを通してみてみました。画面にレンチキュラーレンズをぴったりとつけて、虚像を観察すると、レンチキュラーレンズの方向にかかわらず、元の絵からほとんど変化していません。

レンチキュラーレンズの虚像 元の絵(左) =方向(中) ‖方向(右)
レンチキュラーレンズの虚像 元の絵(左) =方向(中) ‖方向(右)

 レンチキュラーレンズを画面から離して、実像を観察すると、レンチュキュラーの置き方が=方向(写真左)か‖方向か(写真中)によって、元の絵とは見え方が変わります。最初の鉛筆の実験の写真と同じ結果となっています。

レンチキュラーレンズの実像 =方向(左) ‖方向(中) =方向で伸びる(右)
レンチキュラーレンズの実像 =方向(左) ‖方向(中) =方向で伸びる(右)

 写真左において、縦長の棒しか見えないのは、横長の棒がシリンドリカルレンズの屈折の働きで圧縮されてしまいぼやけて視認できなくなるからです。実際には縦長の棒も圧縮されていますが、圧縮される方向に縦長のため、横長の棒のようぼけたようには見えません。また、横長の棒の下側にあるはずの縦長の棒が前面に出ているように見えるのは、レンチキュラーレンズが物体を引き延ばして見せるからです。写真右を見ると、縦長の棒と黒い背景が下側に伸びて見えることがわかります。最初の鉛筆の写真で背面のオレンジ色が前面に出てきているのも同じ理由です。

 以上がレンチキュラーレンズの向きで、縦横の向きの鉛筆が消えて見える理由です。

さて、レンチキュラーレンズを通してものを見ると、確かにものが消えます。これはレンチキュラーレンズでできる実像が圧縮したり伸びたりしてぼやけているからです。確かに特殊なレンズを用いた面白い現象ですが、これだけですと光学迷彩というまでには少し無理がありそうです。

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2020年5月26日 (火)

天文アマチュアのための―新版 屈折望遠鏡光学入門

新版 屈折望遠鏡光学入門―天文アマチュアのための

吉田 正太郎

この本も絶版となっており中古本しか入手できませんが、屈折式望遠鏡の仕組みについて原理からしっかりと解説されており、ガリレオ式望遠鏡やケプラー式望遠鏡などの仕組みを学びたい人にお勧めの本です。

中古本ですが高い値がついています。自分が新品を購入した値段は2,940円でした。

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内容(「BOOK」データベースより)

屈折望遠鏡の基本的な原理と、最新の技術を、できるだけ正確に、わかりやすく説明。

内容(「MARC」データベースより)

天体観測ばかりでなく、精密測角、照準望遠鏡、フィールドスコープ、双眼鏡としても広く用いられている屈折望遠鏡の基本的な原理と、最新の技術を、わかりやすく解説する。

単行本: 342ページ
出版社: 誠文堂新光社; 新版版 (2005/12)
ISBN-10: 441620518X
ISBN-13: 978-4416205181
発売日: 2005/12
商品の寸法: 20.8 x 15 x 2.8 cm

目次

1 世界史のなかの屈折望遠鏡
2 レンズ光学入門
3 屈折望遠鏡の一般光学
4 地上望遠鏡、フィールドスコープ、双眼鏡
5 光学材料
6 対物レンズ
7 接眼鏡
8 カタディオプトリック系

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2020年5月 9日 (土)

レンチキュラーレンズで光学迷彩?(2) レンチキュラーレンズの仕組み

レンチキュラーレンズはどんなレンズ?

 レンチキュラーレンズは半透明の板状のプラスチック製レンズです。レンチキュラーレンズを触ってみると、片面はツルツルしていて、片面はザラザラしていることがわかります。良くみると、縦方向の縞模様が入っていることがわかります。

レンチキュラーレンズ

 レンチキュラーレンズの表面をルーペで拡大すると、次の図のように、細長いカマボコ状のものが並んでいることがわかります。このカマボコ状のものは、その一つ一つがシリンドリカルレンズになっています。

レンチキュラーレンズの表面を拡大してみると

シリンドリカルレンズとは

 次の写真のように、水を入れた牛乳びん越しに「あ」を見ると、びんが縦置きのときは左右が反転して横に伸びて見え、横置きのときは上下が反転して縦に伸びて見えますこのように方向で見え方が異なるのは、牛乳びんが円柱形をしているからです。

牛乳ビンのレンズ

 次の図のように、円柱の側面の一部を切り出した形のレンズをシリンドリカルレンズといいます。その形状からカマボコレンズと呼ばれることもあります。普通の球面レンズはどこを切り出しても断面に曲面がありますが、シリンドリカルレンズは曲面をもつ断面ABと、曲面をもたない断面CDがあります。

シリンドリカルレンズの構造

 そのため、シリンドリカルレンズには、レンズの働きをする向きと、働きをしない向きがあります。普通のレンズは次の図の左側のように光軸に平行な光を1点の焦点に集めますが、シリンドリカルレンズは光を直線上に集めます。

普通のレンズとシリンドリカルレンズの違い

 小さなシリンドリカルレンズをたくさん配列したレンズがレンチキュラーレンズです。レンチキュラーレンズを通してものを見たときに、『レンチキュラーレンズで光学迷彩?(1) 手品と物体の見え方』で紹介したような見え方になるのは、たくさん配列されているシリンドリカルレンズの働きによるものです。どうして、ものが消えたり、伸びて見えたりするかについては、次の機会に説明します。

レンチキュラーレンズという用語

 ところで、英語の『レンチキュラー(lenticular)』は「レンズの」「レンズ状の」「水晶体の」という意味です。ですので、レンチキュラーレズは「レンズのレンズ」「レンズ状のレンズ」で、「頭痛が痛い」「馬から落馬する」のような重言になっています。

 日本語特有の誤用かと思いましたが、英語版のWikipeidaではlenticular lenseとなっていますし、海外の多くのサイトでlenticula lensと表現されています。日本でもレンチキュラーレンズという表現が多いのですが、日本語版のWikipediaではレンチキュラーとなっています。なお、日本語版および英語版のWikipediaの解説は3Dやアニメーションを表示するためのレンチキュラーレンズが前提となった説明になっていて、レンチキュラーレンズそのものの説明になっていないようです。

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2020年4月23日 (木)

レンチキュラーレンズで光学迷彩?(1) 手品と物体の見え方

レンチキュラーレンズを使った手品

 レンチキュラーレンズという板状のレンズを通して物体を見えると、物体が消えて見えなくなる現象が起こります。この現象は手品でも利用されています。まずは次の手品の動画をご覧ください(BGMがかかっているので音量に注意してから再生してください)。

4D surprise + joke - Tenyo

 背面が横縞模様の壁になっている台の上に透明な箱を被せます。箱の向こうに背面の壁がしっかり見えていますが、この箱を開けると、なんと台の上に自由の女神が現れます。

レンチキュラーレンズを通して物体を見てみると

 つづいて、次の映像をご覧ください。解説は英語ですが、映像を見ると、レンチキュラーレンズを通して物体を見ると、どんな見え方になるかわかります。

A Real Invisibility Shield | How Does It Work?

横向きの2本の棒にプライヤーが立てかけられています。それらの前にレンチキュラーレンズを置くと、プライヤーが消え、横向きの2本の棒だけが見えます。しかも、2本の棒はプライヤーの後ろにあるのに、前面にあるように見えています。また、2分25秒ぐらいからになりますが、レンチキュラーレンズを棒の先端の方へ移動すると、棒が伸びて見えます。

なぜ、このような現象が生じるのかについては、後日、記事をアップします。

また、この現象は光学迷彩と言えるのでしょうか。

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2014年5月 6日 (火)

ニュートンのプリズム分光実験が1666年である根拠

アイザック・ニュートンがプリズムを使って太陽光のスペクトルを観察する実験を行ったのは1666年と言われています。たくさんの本に「1666年」と記載されていますが、ニュートンの「光学」が刊行されたのは1704年です。1666年の根拠は何か調べてみました。

Newton

ニュートンは1665年に万有引力を発見していますが、この頃、ロンドンではペスト菌が大流行しており、ケンブリッジ大学が閉鎖となりました。ニュートンは大学の雑務から解放され、しばらくの間、故郷に帰りました。ニュートンは、かねてから考えていたことを、ゆっくりと研究することができる時間を得て、微分積分学、プリズム分光、万有引力の研究を行いました。

その後、ニュートンは大学に戻り、1669年にケンブリッジ大学の数学の教授職であるルーカス教授となりました。教授となっての最初の功績は、数学ではなく、反射式望遠鏡の発明でした。王位教会はこの反射式望遠鏡に注目し、1671年にニュートンに反射式望遠鏡を提出するよう要求しました。ニュートンは反射式望遠鏡の改良型を作成し、王位教会に提出、多くの専門家から賞賛されました。

ニュートンは、反射望遠鏡の発明の経緯について、王立協会宛に1672年2月6日付けで「New Theory About Light and Colour(光と色の関する新理論)」と題した手紙を送りました。

この手紙の冒頭に、1666年の初めにプリズム実験をしたことが書かれているのです。

New Theory About Light and Colour
by Isaac Newton
Sir,
To perform my late promise to you, I shall without further ceremony acquaint you that in the beginning of the year 1666 (at which time I applied myself to the grinding of optic glasses of other figures than spherical) I procured me a triangular glass prism to try therewith the celebrated phenomena of colours. And in order thereto having darkened my chamber and made a small hole in my window-shuts to let in a convenient quantity of the sun's light, I placed my prism at his entrance that it might be thereby refracted to the opposite wall. It was at first a very pleasing divertissement to view the vivid and intense colours produced thereby; but after a while, applying myself to consider them more circumspectly, I became surprised to see them in an oblong form, which according to the received laws of refraction I expected should have been circular.
They were terminated at the sides with straight lines, but at the ends the decay of light was so gradual that it was difficult to determine justly what was their figure; yet they seemed semicircular.
Comparing the length of this coloured spectrum with its breadth, I found it about five times greater, a disproportion so extravagant that it excited me to a more than ordinary curiosity of examining from whence it might proceed. I could scarce think that the various thickness of the glass or the termination with shadow or darkness could have any influence on light to produce such an effect; yet I thought it not amiss first to examine those circumstances, and so tried what would happen by transmitting light through parts of the glass of divers thicknesses, or through holes in the window of divers bignesses, or by setting the prism without, so that the light might pass through it and be refracted before it was terminated by the hole. But I found none of those circumstances material. The fashion of the colours was in all, these cases the same.
Then I suspected whether by any unevenness in the glass or other contingent irregularity these colours might be thus dilated. And to try this, I took another prism like the former and so placed it that the light, passing through them both, might be refracted contrary ways, and so by the latter returned into that course from which the former had diverted it. For by this means I thought the regular effects of the first prism would be destroyed by the second prism but the irregular ones more augmented by the multiplicity of refractions. The event was that the light which by the first prism was diffused into an oblong form was by the second reduced into an orbicular one with as much regularity as when it did not at all pass through them. So that, whatever was the cause of that length, 'twas not any contingent irregularity.
The gradual removal of these suspicions at length led me to the experimentum crucis, which was this; I took two boards, and placed one of them close behind the prism at the window, so that the light might pass through a small hole made in it for the purpose and fall on the other board, which I placed at about 12 feet distance, having first made a small hole in it also, for some of that incident light to pass through. Then I placed another prism behind this second board so that the light, targeted through both the boards, might pass through that also, and be again refracted before it arrived at the wall. This done, I took the first prism in my hand, and turned it to and fro slowly about its axis, so much as to make the several parts of the image cast on the second board successively pass through the hole in it, that I might observe to what places on the wall the second prism would refract them. And I saw by the variation of those places that the light tending to that end of the image towards which the refraction of the first prism was made did in the second prism suffer a refraction considerably greater than the light tending to the other end. And so the true cause of the length of that image was detected to be no other than that light consists of rays differently refrangible, which, without any respect to a difference in their incidence, were, according to their degrees of refrangibility, transmitted towards divers parts of the wall.
I shall now proceed to acquaint you with another more notable difformity in its rays, wherein the origin of colours is unfolded: concerning which I shall lay down the doctrine first and then for its examination give you an instance or two of the experiments, as a specimen of the rest.
The doctrine you will find comprehended and illustrated in the following propositions.
1. As the rays of light differ in degrees of refrangibility, so they also differ in their disposition to exhibit this or that particular colour. Colours are not qualifications of light, derived from refractions or reflections of natural bodies (as 'tis generally believed), but original and connate properties which in divers rays are divers. Some rays are disposed to exhibit a red colour and no other, some a yellow and no other, some a green and no other, and so of the rest. Nor are there only rays proper and particular to the more eminent colours, but even to all their intermediate gradations.
2. To the same degree of refrangibility ever belongs the same colour, and to the same colour ever belongs the same degree of refrangibility. The least refrangible rays are all disposed to exhibit a red colour, and contrarily those rays which are disposed to exhibit a red colour are all the least refrangible. So the most refrangible rays are all disposed to exhibit a deep violet colour, and contrarily those which are apt to exhibit such a violet colour are all the most refrangible. And so to all the intermediate colours in a continued series belong intermediate degrees of refrangibility. And this analogy 'twixt colours and refrangibility is very precise and strict; the rays always either exactly agreeing in both or proportionally disagreeing in both.
3. The species of colour and degree of refrangibility proper to any particular sort of rays is not mutable by refraction nor by reflection from natural bodies nor by any other cause that I could yet observe. When any one sort of rays hath been well parted from those of other kinds, it hath afterwards obstinately retained its colour, notwithstanding my utmost endeavours to change it. I have refracted it with prisms and reflected it with bodies which in daylight were of other colours; I have intercepted it with the coloured film of air interceding two compressed plates of glass; transmitted it through coloured mediums and through mediums irradiated with other sorts of rays, and diversely terminated it; and, yet could never produce any new colour out of it. It would by contracting or dilating become more brisk or faint and by the loss of many rays in some cases very obscure and dark; but I could never see it changed in specie.
4. Yet seeming transmutations of colours may be made, where there is any mixture of divers sorts of rays. For in such mixtures, the component colours appear not, but by their mutual allaying each other constitute a middling colour. And therefore if by refraction or any other of the aforesaid causes the difform rays latent in such a mixture be separated, there shall emerge colours different from the colour of the composition. Which colours are not new generated, but only made apparent by being parted; for if they be again entirely mixed and blended together, they will again compose that colour which they did before separation. And for the same reason, transmutations made by the convening of divers colours are not real; for when the difform rays are again severed, they will exhibit the very same colours which they did before they entered the composition—as you see blue and yellow powders when finely mixed appear to the naked eye green, and yet the colours of the component corpuscles are not thereby transmuted, but only blended. For, when viewed with a good microscope, they still appear blue and yellow interspersedly.
5. There are therefore two sorts of colours: the one original and simple, the other compounded of these. The original or primary colours are red, yellow, green, blue, and a violet-purple, together with orange, indigo, and an indefinite variety of intermediate graduations.
6. The same colours in specie with these primary ones may be also produced by composition. For a mixture of yellow and blue makes green; of red and yellow makes orange; of orange and yellowish green makes yellow. And in general if any two colours be mixed which, in the series of those generated by the prism, are not too far distant one from another, they by their mutual alloy compound that colour which in the said series appeareth in the mid-way between them. But those which are situated at too great a distance, do not so. Orange and indigo produce not the intermediate green, nor scarlet and green the intermediate yellow.
7. But the most surprising and wonderful composition was that of whiteness. There is no one sort of rays which alone can exhibit this. 'Tis ever compounded, and to its composition are requisite all the aforesaid primary colours, mixed in a due proportion. I have often with admiration beheld that, all the colours of the prism being made to converge and thereby to be again mixed as they were in the light before it was incident upon the, prism, reproduced light, entirely and perfectly white, and not at all sensibly differing from a direct light of the sun, unless when the glasses I used were not sufficiently clear; for then they would a little incline it to their colour.
8. Hence therefore it comes to pass that whiteness is the usual colour of light, for light is a confused aggregate of rays endued with all sorts of colours, as they are promiscuously darted from the various parts of luminous bodies. And of such a confused aggregate, as I said, is generated whiteness, if there be a due proportion of the ingredients; but if any one predominate, the light must incline to that colour, as it happens in the blue flame of brimstone, the yellow flame of a candle, and the various colours of the fixed stars.
9. These things considered, the manner how colours are produced by the prism is evident. For of the rays constituting the incident light, since those which differ in colour proportionally differ in infrangibility, they by their unequal refractions must be severed and dispersed into an oblong form in an orderly succession from the least refracted scarlet to the most refracted violet. And for the same reason it is that objects, when looked upon through a prism, appear coloured. For the difform rays, by their unequal refractions, are made to diverge towards several parts of the retina, and there express the images of things coloured, as in the former case they did the sun's image upon a wall. And by this inequality of refractions they become not only coloured, but also very confused and indistinct.
10. Why the colours of the rainbow appear in falling drops of rain is also from hence evident. For those drops which refract the rays disposed to appear purple in greatest quantity to the spectator's eye, refract the rays of other sorts so much less as to make them pass beside it; and such are the drops on the inside of the primary bow and on the outside of the secondary or exterior one. So those drops which refract in greatest plenty the rays apt to appear red toward the spectator's eye, refract those of other sorts so much more as to make them pass beside it; and such are the drops on the exterior part of the primary and interior part of the secondary bow.
13. I might add more instances of this nature, but I shall conclude with this general one, that the colours of all natural bodies have no other origin than this, that they are variously qualified to reflect one sort of light in greater plenty than another. And this I have experimented in a dark room by illuminating those bodies with uncompounded light of divers colours. For by that means any body may be made to appear of any colour. They have there no appropriate colour, but ever appear of the colour of the light cast upon them, but yet with this difference, that they are most brisk and vivid in the light of their own daylight colour. Minium appeareth there of any colour indifferently with which 'tis illustrated, but yet most luminous in red, and so Bise appeareth indifferently of any colour with which 'tis illustrated, but yet most luminous in blue. And therefore minium reflecteth rays of any colour, but most copiously those endued with red; and consequently when illustrated with daylight, that is, with all sorts of rays promiscuously blended, those qualified with red shall abound most in the reflected light, and by their prevalence cause it to appear of that colour. And for the same reason bise, reflecting blue most copiously, shall appear blue by the excess of those rays in its reflected light; and the like of other bodies. And that this is the entire and adequate cause of their colours is manifest, because they have no power to change or alter the colours of any sort of rays incident apart, but put on all colours indifferently with which they are enlightened.
These things being so it can no longer be disputed whether there be colours in the dark, nor whether they be the qualities of the objects we see, no, nor perhaps whether light be a body. For since colours are the qualities of light, having its rays for their entire and immediate subject, how can we think those rays qualities also, unless one quality may be the subject of and sustain another—which in effect is to call it substance. We should not know bodies for substances were it not for their sensible qualities, and the principal of those being now found due to something else, we have as good reason to believe that to be a substance also.
Besides, who ever thought any quality to be a heterogeneous aggregate, such as light is discovered to be? But to determine more absolutely what light is, after what manner refracted, and by what modes or actions it produceth in our minds the phantasms of colours, is not so easy. And I shall not mingle conjectures with certainties.

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2013年3月13日 (水)

環水平アーク

 雲が色づいて見える環水平アークという現象があります。これは大気中に浮遊した氷の粒で、太陽光が屈折し、水平な虹が見える現象です。

 写真の環水平アークは、2004年5月の連休に白神に登山に行ったときに撮影したものです。JR東日本五能線の白神岳登山口で仲間と合流したのですが、そのときに空に出ていました。

Fi1404700_0e

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2012年12月27日 (木)

氷レンズで火を起こす

氷レンズというと、冷凍庫で作成した氷を使って実験という感じだと思いますが、この映像で紹介している氷レンズの作成方法はサバイバル系です。池や湖で自然に出来た氷を切り出してレンズを作ります。

映像の最後に作成した氷レンズで太陽の光を集めて枯れ草に火をつけるシーンがあります。これだけ大きなレンズだと・・・

この先は映像をご覧下さい。

How to make Fire from ICE

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2012年7月15日 (日)

池の上の球形の水槽

日本ではあまり見かけませんが、海外では庭の池の水面に角柱や球形の水槽を取り付けて楽しんでいる人が多いようです。

次の影像は池の水面に球形の水槽を取り付けた例です。鯉が池から球形の水槽の中に入り込んでいます。光が屈折するので、鯉の見え方が面白くなっています。

Add-A-Sphere daytime video www.addasphere.com

これはどのようにできているかというと、次の映像のように作ります。

なぜ水槽の中に鯉がたくさん集まっているのかもわかります。

Add-A-Sphere Installation.wmv

 

旭山動物園の展示方法の家庭版という感じがします。

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2012年7月 3日 (火)

透明なプラスチック(1)

 一昔前までは透明な材料と言えばガラスが代表格でした。しかし、現在では、優れた透明性をもつプラスチックが開発され、ガラスの代わりに使われるようになってきました。プラスチック材料として透明性をを重視した素材といえば、ポリカーボナートとアクリル樹脂が代表格です。

 ポリカーボナートもアクリル樹脂も透明性の高いプラスチックですが、透明性だけで比較すると、アクリル樹脂の方がポリカーボナートよりも優れています。アクリル樹脂は眼鏡や光ファイバーの材料として使われます。もちろん、その透明性は石英ガラスには及びませんが、プラスチックの中では特に透明性が高い材料です。

 しかしながら、アクリル樹脂には割れやすいという欠点があります。そこで、アクリル樹脂までの透明性は必要ないが、割れにくいなどの耐久性を重視する場合にはポリカーボナートが使われます。

 たとえば、CDやDVDのディスクは、データを読むための光がディスクの板の厚み方向を往復するだけで良いので、アクリル樹脂ほど透明性がなくても支障はありません。そこで、CDやDVDのディスクの素材にはポリカーボナートが使われています。

 ただし、ポリカーボナートを光学用途に使うには複屈折(参考記事:方解石による複屈折)が大きいという問題があります。

 ポリカーボナートのポリマーを引き伸ばして成型する場合、ポリマーは成形の時に流れた方向に引き伸ばされた構造になります。このとき、ポリマーの鎖の方向と、鎖と垂直な方向との屈折率が異なるため、複屈折が生じます。

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 複屈折が生じると、材料の縦方向と横方向で焦点距離が変わってしまうため、光でデータを読み取るのが難しくなります。そこで、これを解消するために、分子量を小さくしたり成形方法を工夫したりして複屈折をなるべく小さくするような工夫がなされています。

 一見、透明に見える材料も、力のかかり具合によって、屈折率がバラツキ複屈折を生じます。これを光弾性といいます。たとえば、プラスチック製のスプーンを偏光フィルタを通して観察してみると、歪んだ部分が色づいて見えます。

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【参考】

「機能性プラスチック」のキホン

桑嶋 幹 (著), 久保 敬次 (著)

欲しい性能を付与できる進化した有機材料の世界

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2012年6月26日 (火)

大自然が作る虹

太陽を背に霧を吹くと、虹を作ることができます。

太陽を背に鯨が潮を吹くと・・・一瞬ですが綺麗な虹ができました。

Whalerainbow

この動画はこちらです。

Whale Rainbow.mpg

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