色彩

2020年6月29日 (月)

白いアジサイ「アナベル」はなぜ白いのか?

近所の家の軒先でアジサイがとても綺麗に咲いていました。

アジサイ 紫陽花

 アジサイの花の色を左右する重要な物質は土壌中に含まれるアルミニウムです。アジサイの花の色素のデルフィニジンはアルミニウムと結びつくと青色に呈色し、アルミニウムが少ないと赤色に呈色する性質があります。

 アルミニウムは土壌中にたくさん含まれていますが、土壌が酸性だと溶け出しやすく、植物に吸収されやすくなります。一方、土壌がアルカリ性だと溶け出しにくくなります。

 同じ株に咲いているのに色の違う花をつけるのは、アジサイの根が四方八方に広がっているからです。雨が降ったり、水を与えているうちに、土壌の成分が流れ出したりして、酸性度やアルミニウムの量が変化すると、根が吸収するアルミニウムの量が変わるため、色が変わってくるのです。このあたりについては、本ブログ「光と色と:花の色はいろいろ」で解説しています。

 さて、写真の中に白いアジサイが咲いています。この白いアジサイはアナベルという品種です。アナベルはアルミニウムと結びつく色素をもっていないため、土壌の酸性度によって色が変わりません。アナベルは咲き始めの成長時期はクロロフィルにより、薄い緑色をしていますが、成長すると真っ白な花になります。

アナベル アジサイ

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2020年5月22日 (金)

徹底図解 色のしくみ―初期の光学理論から色彩心理学・民族の色彩まで (カラー版徹底図解)

徹底図解 色のしくみ―初期の光学理論から色彩心理学・民族の色彩まで (カラー版徹底図解)

城 一夫 (著)

 光と色の基本的な性質について丁寧に解説した一冊です。光学や色彩学の基本、色が見える仕組み、色を表す仕組み、色を作る仕組みなど、多くのことが解説されています。どのようなことが取りあげられているかは下の目次を見るとわかると思います。

Photo_20200522112401

内容(「MARC」データベースより)

私たちの生活環境の中で、色彩がいかに重要な役割を果たしているかを、多角的な視座から考察。色彩の成り立ち、色の見え方、色の生理と心理、色の感情効果、そして色彩文化などの、「色のしくみ」を解明する。

単行本: 222ページ
出版社: 新星出版社 (2009/03)
ISBN-10: 4405106789
ISBN-13: 978-4405106789
発売日: 2009/03
商品の寸法: 21 x 15 x 2 cm

目次

はじめに 6

Image Gallery

宇宙と空の色 8
昆虫の色 10
海中の色 12

第1章 光と色 13

色研究の元祖、ニュートンとゲーテ 14
光-色の感覚を引きおこすもの 16
可視光線 18
光の反射、吸収、透過 20
色光の3原色、色材の3原色 22
光の色彩現象(1)屈折 24
光の色彩現象(2)散乱 26
光の色彩現象(3)回折と干渉 28
色の現象的分類 30
人工光 白熱灯と蛍光灯 32
光と色温度 34
光の明るさ(1)単位 36
光の明るさ(2)条件等色 38
光の明るさ(3)標準イルミナントと演色性 40
動植物の色素 42
染料 44
顔料 46
印刷インキ 48
塗料 50
絵の具、その他の色材 52
Column JlS慣用色名(1) 54

第2章 色が見えるしくみ 55

眼の構造と役割 56
網膜の役割 58
大脳のはたらき 60
色の知覚 62
明暗順応と色順応 64
比視感度とプルキニエ現象 66
色の恒常性と明るさの恒常性 68
残像 70
色相対比 72
明度対比、彩度対比 74
同化 76
視認性、誘目性、識別性 78
色記憶と記憶色 80
色の見え方 82
主観色とネオンカラー効果 84
錯視 86
Column JIS慣用色名(2) 88

第3章 色を表すしくみ 89

色の3属性 90
マンセル表色系 92
PCCS(日本色研配色体系) 94
NCS(Natural Color System) 96
XYZ表色系、L*a*b*表色系 98
色の伝達方法 100
色の記号で伝達する 102
測色値で伝える 104
Column JIS慣用色名(3) 106

第4章 混色と色再現 107

加法混色(1)同時加法混色 108
加法混色(2)中間混色 110
減法混色 112
印刷の色再現 114
写真の色再現 116
テレビの色再現 118
Column JIS慣用色名(4) 120

第5章 色と心理 121

共感覚 122
色の連想 124
色の寒暖感 126
膨張色と収縮色 128
色の軽重感、硬軟感 130
色に対するイメージ 132
投映法(投影法) 134
Column JIS慣用色名(5) 136

第6章 色彩調和論と配色調和 137

ゲーテの色彩調和論 138
シュヴルールの色彩調和論 140
オストワルトの色彩調和論 142
イッテンの色彩調和論 144
ジャッドの色彩調和論 146
代表的な配色(1) 148
代表的な配色(2) 150
代表的な配色(3) 152
代表的な配色(4) 154
慣用的な配色 156
配色の基礎用語 158
Column JIS慣用色名(6) 160

第7章 生活と色彩 161

景観と色彩 162
街並みと色彩 164
インテリアのカラーコーディネート 166
部屋の用途別のインテリアカラー 168
食物と色彩 170
家電の色 172
自動車の色 174
ケータイ(携帯電話)の色 176
CIカラー 178
安全色彩 180
Column JIS慣用色名(7) 182

第8章 これからの色彩 183

デジタル色彩(Digital Color) 184
発光ダイオード 186
ユニバーサルデザインと色彩 188
機能性色素 190
カラーマネジメント(Color Management) 192
癒しと色彩 194
Column JIS慣用色名(8) 196

第9章 世界各国の色彩文化 197

国旗と色彩 198
ヨーロッパの色(1)オランダ 200
ヨーロッパの色(2)ドイツ 202
ヨーロッパの色(3)イギリス 204
ヨーロッパの色(4)イタリア 206
ヨーロッパの色(5)フランス 208
アフリ力諸国の色 210
中南米諸国(ラテンアメリカ)の色 212
イスラム圏の色 214
アジアの色(1)中国 216
アジアの色(2)日本 218

さくいん 220
特別協力・おもな参考文献 223

 

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2020年5月19日 (火)

色彩学貴重書図説―ニュートン・ゲーテ・シュヴルール・マンセルを中心に

色彩学貴重書図説―ニュートン・ゲーテ・シュヴルール・マンセルを中心に

北畠 耀

 これも中古本になりますが、光や色彩の探求の歴史上重要な資料が多数掲載されています。題名の色彩学「貴重書」図説の通りです。冒頭は古代壁画などの解説に始まります。また、ニュートンが光についてどのような実験をやったのかなど、ニュートンが描いた図を見ることができます。ゲーテの色彩に関するニュートンへの反論なども図で楽しむことができます。

色彩学貴重書辞典

内容(「MARC」データベースより)

 哲学者としてのニュートン、自然科学者としてのゲーテ、色彩調和論の先駆者シュヴルール、“色のものさし”を創案したマンセルを中心に取り上げ紹介。色彩の入門者を歴史探訪へ誘う、しかも見て楽しい色の画集のような一冊。

 “色彩文化の歴史的記念碑”あるいは“色彩学三代古典書”と呼ばれる貴重書に、科学史を転換させたニュートンの『光学』(1706)、文豪ゲーテが20年をかけた壮大な著作『色彩論』(1818)、印象派画家から「色のバイブル」と呼ばれた化学者シュブルールの『色の同時対比の法則』(1938)があります。豊かな社会が到来した20世紀には、徐々に色彩計画の重要性が増し「色のものさし」が求められました。このときマンセルは『色表記法』(1905)で画期的な提案を行い、彼が創案したカラースケールは、学問分野のみならず全産業に大きく貢献しました。

 本書では、上記4人の著書の図説を中心に、主に16世紀から今日までの色彩学の発展に貢献した重要な書籍を図説で解説。色彩研究史年表も充実させました。

単行本:101ページ
出版社::日本塗料工業会 (2006/04)
ISBN-10::4841904158
ISBN-13::978-4841904154
発売日:2006/04

目次

01. 古代社会における色彩象徴
02. 古代ギリシアの世界観
03. 中世の色彩文化
04. ルネサンスの造形術と色彩書
05. 17世紀における色彩体系の発想
06. 科学革命時代の群像
07. 哲学者としてのニュートン
08. 自然科学者としてのゲーテ
09. 色彩調和論の先覚者シュヴルール
10. 複製術(版画・印刷・織布・写真)の開発者たち
11. 色を音の類比で構想したフィールド
12. 明治初期の初等教科書『色圖問答』
13. 産業の色彩と教育の色彩
14. “色のものさし”の創案者マンセル
15. 色空間で調和を論じたオストワルト
16. 色名体系の登場と発展
17. メルツ&ポール色名辞典
18. ISCC-NBS色名法
19. 18世紀以降の色彩体系の展開
20. XYZによる表色系の統括
APPENDIX
色と光の文化史年表
色と光の探求者関連年表

巻末折り込み:
太陽光のスペクトルとシュヴルール色相との対応図

 

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2020年5月17日 (日)

色彩の科学

色彩の科学 (岩波新書)

金子 隆芳 (著)

 初版1988年でいまだ新品で購入できます。自分の手元の本は2010年第10版でした。これだけ長く販売され続けている理由はこの本を読んでみればわかります。

 ニュートンの色彩論を皮切りに色彩の科学を、その発展の歴史とともに解説していきます。原著論文までしっかりと参照されており、ニュートン、ヤング、マクスウェル、ヘルムホルツなど色彩学の発展に関わる当時の科学者たちがたくさん登場し、彼らが実際に実験に用いた装置の写真や図が丁寧な説明とともに掲載されています。そして、現代色彩論の解説と展開しています。第9章「ゲーテの色の現象学」、第10章「ヘリングの心理学的色覚説」、第11章「物体色の色彩論」で色の本質にせまります。

 色彩を勉強する人にはおすすめの一冊です。

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 内容(「BOOK」データベースより)

 豊かな色彩に囲まれた私たちの世界。だが「色が見える」とはどういうことなのだろうか?ニュートンやゲーテの色彩論以来、さまざまな人々がこの問題に取り組んできた。それらの成果を踏まえて、色覚異常や動物の色覚からイマジナリー・カラー、色ベクトルなどの最新理論まで、多岐にわたる色彩の世界を、物理学・心理学の両面から論じる。

新書: 220ページ
出版社: 岩波書店 (1988/10/20)
言語: 日本語
ISBN-10: 4004300444
ISBN-13: 978-4004300441
発売日: 1988/10/20
梱包サイズ: 17.2 x 10.4 x 1.2 cm

目次

1 ニュートン色彩論
2 色覚の三史
3 ヘルムホルツ三色説
4 測色学の祖・マクスウェル
5 現代色彩論の基本思想
6 現代色彩論のXYZ
7 ヘルムホルツ三原色と色覚異常
8 動物の色覚・処女開眼者の色覚
9 ゲーテの色の現象学
10 ヘリングの心理学的色覚説
11 物体色の色彩論
12 カラー・オーダー・システム

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2020年5月14日 (木)

光の三原色の波長はどのように決まったのか 色が見える仕組み(8)

ヒトの眼が色を感じる仕組みの探究

 ニュートンが1666年に行ったプリズムで虹をつくる実験をきっかけに「人間の眼はどのようにして色を感じているのか?」という疑問に関心が集まるようになりました。ニュートンをはじめ当時の学者たちは、人間の眼の中には光の色の数に相当する多種類の視細胞があると考えました。

 ヤングはこの考えに疑問をもち、1801年に絵の具の混色からヒントを得て「人間の眼の中には赤・緑・青の光を感じる視細胞があり、色は3つの視細胞が受けた刺激の割合で決まる」という三色説を提唱しました。ヤングの仮説は正しかったのですが、当時は光の混色実験が難しく再現性も乏しかったためまったく支持されませんでした。

 1860年、マクスウェルは色分けされた円板を回転させると別の色が見え、ある割合にすると白色に見えるという実験を行いました。Maxwellはこの実験で時間の経過とともに目に入る色光を変えて色をつくる継時加法混色を示したのです。

マクスウェルの円盤

この実験については、スコットランドの国立博物館のサイト(英語)に説明があります。当時の円板の写真も掲載されています。

彼は下記の装置で赤・緑・青の光の混合実験を行い、この3つの色光で白色光を作り出し、また様々な色を作り出せる可能性を示しました。

マクスウェルの箱

この装置を用いた実験については下記の論文に示されています。CAの方向から白色光を入れます。CBの間から入った白色光はミラーMで反射し、レンズLで集光されてEに向かいます。BAの間から入った白色光はスリットXYZを通って3つの白色光になります。3つの白色光はプリズムPで分光されて赤・緑・青の光となり、その後プリズムP'を通って混色され、レンズLをで集光されてEに向かいます。Eから覗くと、光の色を観察することができるようになっています。3色の光の強さはスリットXYZの位置と幅で調整することができます。BAから入ってEから出てくる光とCBから入ってEから出てくる白色光を比較し、BAからの混色された光がCBからの白色光と同じになるようにXYZを調整しました。

On the Theory of Compound Colours, and the Relations of the Colours of the Spectrum.
Philosophical Transactions, Vol. 150 pp. 57–84. 1 January 1860.
PDF https://www.jstor.org/stable/pdf/108759.pdf
本論文はJames Clerk Maxwellの単著となっていますが、この実験には夫人のKatherine Clerk Maxwellが貢献しています。この著書には観察者が2人出てきます。一人はJ.C. Maxwell本人ですが、本文中に出てくるもう一人の観測者Kは夫人のKatherineです。

 1868年、ヘルムホルツはヤングの3色説を定量的に解明し、ヤングの3色説が正しいことを説明しました。これをヤング・ヘルムホルツの三色説と言います。下図はヘルムホルツが求めた各錐体の分光感度曲線です。

ヤング・ヘルムホルツの三色説

こうしてヤング、マクスウェル、ヘルムホルツによって、三色説が有力な仮説となりました。

ヤング、マクスウェル、ヘルムホルツ

 1956年、スウェーデンの生理学者Gunnar Svaetichinは魚の網膜を調べ、青、緑、赤の3つの波長の光に特異的な感度を示すことを発見しまました。これは、ヤング・ヘルムホルツ三原色説を支持する最初の生理学的な実証となりました。

Spectral response curves from single cones,
Svaetichin, G., Actaphysiol. scand. 39, Suppl. 134, 17-46, 1956

網膜に赤・緑・青の光を感じる3種類の錐体細胞が存在することが確認されたのは1964年のことです。Marksらは錐体細胞を通した光と、錐体細胞を通していない光を比較することにより、光のスペ クトルの差を求め、網膜には 445nm(青)、535nm(緑)、570nm(赤)にピークをもつ3種類の視物質が存在することを証明しました。

Visual pigment of single primate canes.
Marks WB, Dobelle WH, MacNichol EF Jr:Science 143; 1181-1183, 1964.

 3種類の錐体の感度がもっとも高い波長は赤錐体450 nm、緑錐体530 nm、青錐体560 nmですが、それぞれの感度曲線は次の図のようにある程度の幅を持っています。

分光感度曲線

 青錐体はほぼ青色光に対応する感度分布になっていますが、緑錐体と赤錐体の感度分布は幅が広く、赤錐体は緑錐体よりも長波長側にシフトしているものの広い範囲で重複しています。青色の光に対しては、青錐体・緑錐体・赤錐体のすべてが応答することがわかります。この図を見てもわかるように、ある波長の光に対してひとつの錐体が応答するわけではありません。そのため、青錐体・緑錐体・赤錐体は波長の短(S)、中(M)、長(L)でそれぞれS錐体・M錐体・L錐体と呼ぶ場合もあります。

光の三原色を再現する等色

 マクスウェルの実験からも分かる通り、赤・緑・青の光を任意に混合すると、様々な色を作ることができます。これは私たちが見ている色を光の三原色で再現できるということです。3色の光でどれぐらいの色を再現できるかは次の図のような装置を使うことで確認できます。例えば、白色光をプリズムで分けて得られる波長約490 nmのシアン(青緑)の単色光が、光の3原色でどのように再現できるかを調べる作業を行います。このような作業を色合わせ、もしくは等色と言います。

等色の実験 

 いま[A]と[B]、[C]と[D]という色光があるとします。それぞれの色光の組み合わせが等色であるとき、式1で表すことができます。このような式を等色式と言います。≡は等色であることを示す記号です。

[A]≡[B]   [C]≡[D]・・・(式1)

そして、上記の等色の実験から次の2つの法則があることが確かめられています。この2つの法則をグラスマンの法則と言います。

グラスマンの法則:比例則

光の強度を一定倍にしても等色式は成り立つ

α[A]≡ α[B]      β[C]≡ β[D]・・・(式2)

グラスマンの法則:加法則

等色の光同士を加えても等色式は成り立つ

[A]+[C] ≡[B]+[D]   [A] + [D] ≡ [B] + [C]・・・(式3)

また、ある試験光[A]が[R][G][B]の光をそれぞれα・β・γの割合で組み合わせたときにできるとき、式4のように表すことができます。

[A]≡ α[R] + β[G] + γ[B]・・・(式4)

グラスマンの法則では任意の[R][G][B]の光を決めてやれば、試験光を式4で表すことができます。しかし、様々な色の試験光に対して、[R][G][B]で色合わせを行うためには[R][G][B]の標準化が必要になります。

光の三原色の標準化

 1931年に国際照明委員会(CIE, Commission Internationale de l'Eclairage)は光の3原色を赤色光700 nm、緑色光546.1 nm、青色光435.8 nmの単色光としました。当時はLED(発光ダイオード)などありませんでしたから、実験に使いやすい光の波長が選ばれました。緑色光546.1 nm、青色光435.8 nmの光は水銀ランプの輝線です。赤色光700 nmは可視光の最も長波長の光を採用しました。このCIEの等色の標準化には、英国のJohn GuildWilliam David Wrightがそれぞれ別途に実施した実験結果が採用されています。この実験に使われていた光の三原色が上記の3つ波長の光だったのです。この三原色を使った色の表現方法をRGB表色系と言います。

 ところで、ヒトの眼の色を感じる錐体細胞は中心窩から2度以内のところに集中して分布しています。そのため、混色の実験でどのような色が見えるかは、観察者の視野によって変わります。そのため、CIEは測色標準観察者なるものを定義し、中心窩から2度の視野角で得られる色覚を人の標準的な色覚と定義しました。

次の図は、等色の実験において、試験光の波長を変更しながら、その試験光に等色する[R][G][B]の三刺激値を求めプロットしたものです。

CIE 1931 RGB等色関数

 この図は「CIE 1931 RGB等色関数」のグラフです。たとえば、660 nmの試験光に対する三刺激値の比率は次のよう読み取ることができます(実際には等色関数から計算で求めます)。

[R]:[G]:[B]=0.05932:0.00037:0.0000

 ところで、この等色関数のグラフを見ると、赤色光が450 nmあたりから550 nmあたりまでマイナスの値になっています。たとえば、約490 nmの試験光は、青色光と緑色光をおよそ0.05の割合で加えて、赤色光を0.05引かなければ再現できません。これを式で表すと次のようになります。

490 nmの試験光=0.05[B]+0.05[G]+(-0.05[R])

 光の三原色ではシアンの光は緑と青の光を混色するとできるはずですが、マイナスの赤い光を加えるというのはどういうことなのでしょうか。

 実は、波長490 nmのシアンの単色光を光の三原色の[G][B]の混色で作ろうとすると、このシアンの単色光の鮮やかさを再現することができないのです。そこで、等色実験で試験光のシアンの単色光に赤色の光を加えると、[G][B]で作ったシアンの光の色と等色になります(式5)。

490 nmのシアンの単色光 +[R]  = [G] + [B]・・・(式5)

ですから、490 nmのシアンの単色光は次のよう表すことになるのです。

490 nmのシアンの単色光 = [G] + [B] + [-R]・・・(式6)

 このように、490 nmのシアンの単色光を作るには[G][B]の光にマイナスの[R]を加えなければなりません。これは色を表現するのに非常に不都合です。そこで、CIEはマイナスの光を扱わなくても色を表すことができる数値で表す仮想的な3原色XYZをつくりました。大まかに言うとXは赤、Yは緑、Zは青で、Yだけには輝度を表す役割があります。このXYZを用いて現実の色を表現する方法をXYZ表色系と言います。

CIE 1931 XYZ等色関数

 ところで、カラーテレビや液晶ディスプレイは光の3原色を使って色を再現していますが、必ずしもCIEが定めた波長の光が使われているとは限りません。例えばカラーテレビは赤・緑・青の光を出す3種類の蛍光物質に電子ビームを当てて色を作りますが、それらの蛍光物質が出す光の波長はだいたい赤色光で610 nm、緑色光で550 nm、青色光で470 nmです。これらの波長は使う蛍光物質よって変わりますから、カラーテレビの色再現は厳密にはどの蛍光物質を採用したかによって異なることになります。このような色の表現を「機種依存な色表現」と言います。つまり、現実に使われているRGB 表色系は厳密には色を指定するのに向いていないという側面があります。

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2020年4月15日 (水)

サクラ色はアントシアニン

例年は今頃からサクラが咲き始めるのですが、今年は新型コロナの騒ぎもある中で、ずいぶん早めに咲き始めました。雪が降り、雨が振り、風が吹いて、花びらが散っていきました。

写真は4月2日(木)の朝、出勤途上で撮影したサクラです。ほとんど満開に近い状態でした。

Sakura1

次の写真は別のサクラの木です。花びらを接写しました。

Sakura2 

花の色素にはいろいろありますが、ソメイヨシノのサクラ色はアントシアニンによるものです。

サクラの開花のプロセスを良く見てみると、ツボミのときには、ずいぶん濃いピンク色をしています。これはアントシアニンが大量に存在しているからですが、ツボミが開花すると、アントシアニンの量が減少し、花びらは白に近い淡いピンク色になります。

開花してしばらくたつと、再びアントシアニンの量が増えだします。おしべの花糸が赤みを帯び、花びらもピンク色を呈してきます。散り際の満開のサクラが一番見応えがあります。

このブログでは花の色素について、下記の記事で解説してあります。興味がありましたら、ご一読ください。

光と色と:花の色はいろいろ

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2014年5月 6日 (火)

ニュートンのプリズム分光実験が1666年である根拠

アイザック・ニュートンがプリズムを使って太陽光のスペクトルを観察する実験を行ったのは1666年と言われています。たくさんの本に「1666年」と記載されていますが、ニュートンの「光学」が刊行されたのは1704年です。1666年の根拠は何か調べてみました。

Newton

ニュートンは1665年に万有引力を発見していますが、この頃、ロンドンではペスト菌が大流行しており、ケンブリッジ大学が閉鎖となりました。ニュートンは大学の雑務から解放され、しばらくの間、故郷に帰りました。ニュートンは、かねてから考えていたことを、ゆっくりと研究することができる時間を得て、微分積分学、プリズム分光、万有引力の研究を行いました。

その後、ニュートンは大学に戻り、1669年にケンブリッジ大学の数学の教授職であるルーカス教授となりました。教授となっての最初の功績は、数学ではなく、反射式望遠鏡の発明でした。王位教会はこの反射式望遠鏡に注目し、1671年にニュートンに反射式望遠鏡を提出するよう要求しました。ニュートンは反射式望遠鏡の改良型を作成し、王位教会に提出、多くの専門家から賞賛されました。

ニュートンは、反射望遠鏡の発明の経緯について、王立協会宛に1672年2月6日付けで「New Theory About Light and Colour(光と色の関する新理論)」と題した手紙を送りました。

この手紙の冒頭に、1666年の初めにプリズム実験をしたことが書かれているのです。

New Theory About Light and Colour
by Isaac Newton
Sir,
To perform my late promise to you, I shall without further ceremony acquaint you that in the beginning of the year 1666 (at which time I applied myself to the grinding of optic glasses of other figures than spherical) I procured me a triangular glass prism to try therewith the celebrated phenomena of colours. And in order thereto having darkened my chamber and made a small hole in my window-shuts to let in a convenient quantity of the sun's light, I placed my prism at his entrance that it might be thereby refracted to the opposite wall. It was at first a very pleasing divertissement to view the vivid and intense colours produced thereby; but after a while, applying myself to consider them more circumspectly, I became surprised to see them in an oblong form, which according to the received laws of refraction I expected should have been circular.
They were terminated at the sides with straight lines, but at the ends the decay of light was so gradual that it was difficult to determine justly what was their figure; yet they seemed semicircular.
Comparing the length of this coloured spectrum with its breadth, I found it about five times greater, a disproportion so extravagant that it excited me to a more than ordinary curiosity of examining from whence it might proceed. I could scarce think that the various thickness of the glass or the termination with shadow or darkness could have any influence on light to produce such an effect; yet I thought it not amiss first to examine those circumstances, and so tried what would happen by transmitting light through parts of the glass of divers thicknesses, or through holes in the window of divers bignesses, or by setting the prism without, so that the light might pass through it and be refracted before it was terminated by the hole. But I found none of those circumstances material. The fashion of the colours was in all, these cases the same.
Then I suspected whether by any unevenness in the glass or other contingent irregularity these colours might be thus dilated. And to try this, I took another prism like the former and so placed it that the light, passing through them both, might be refracted contrary ways, and so by the latter returned into that course from which the former had diverted it. For by this means I thought the regular effects of the first prism would be destroyed by the second prism but the irregular ones more augmented by the multiplicity of refractions. The event was that the light which by the first prism was diffused into an oblong form was by the second reduced into an orbicular one with as much regularity as when it did not at all pass through them. So that, whatever was the cause of that length, 'twas not any contingent irregularity.
The gradual removal of these suspicions at length led me to the experimentum crucis, which was this; I took two boards, and placed one of them close behind the prism at the window, so that the light might pass through a small hole made in it for the purpose and fall on the other board, which I placed at about 12 feet distance, having first made a small hole in it also, for some of that incident light to pass through. Then I placed another prism behind this second board so that the light, targeted through both the boards, might pass through that also, and be again refracted before it arrived at the wall. This done, I took the first prism in my hand, and turned it to and fro slowly about its axis, so much as to make the several parts of the image cast on the second board successively pass through the hole in it, that I might observe to what places on the wall the second prism would refract them. And I saw by the variation of those places that the light tending to that end of the image towards which the refraction of the first prism was made did in the second prism suffer a refraction considerably greater than the light tending to the other end. And so the true cause of the length of that image was detected to be no other than that light consists of rays differently refrangible, which, without any respect to a difference in their incidence, were, according to their degrees of refrangibility, transmitted towards divers parts of the wall.
I shall now proceed to acquaint you with another more notable difformity in its rays, wherein the origin of colours is unfolded: concerning which I shall lay down the doctrine first and then for its examination give you an instance or two of the experiments, as a specimen of the rest.
The doctrine you will find comprehended and illustrated in the following propositions.
1. As the rays of light differ in degrees of refrangibility, so they also differ in their disposition to exhibit this or that particular colour. Colours are not qualifications of light, derived from refractions or reflections of natural bodies (as 'tis generally believed), but original and connate properties which in divers rays are divers. Some rays are disposed to exhibit a red colour and no other, some a yellow and no other, some a green and no other, and so of the rest. Nor are there only rays proper and particular to the more eminent colours, but even to all their intermediate gradations.
2. To the same degree of refrangibility ever belongs the same colour, and to the same colour ever belongs the same degree of refrangibility. The least refrangible rays are all disposed to exhibit a red colour, and contrarily those rays which are disposed to exhibit a red colour are all the least refrangible. So the most refrangible rays are all disposed to exhibit a deep violet colour, and contrarily those which are apt to exhibit such a violet colour are all the most refrangible. And so to all the intermediate colours in a continued series belong intermediate degrees of refrangibility. And this analogy 'twixt colours and refrangibility is very precise and strict; the rays always either exactly agreeing in both or proportionally disagreeing in both.
3. The species of colour and degree of refrangibility proper to any particular sort of rays is not mutable by refraction nor by reflection from natural bodies nor by any other cause that I could yet observe. When any one sort of rays hath been well parted from those of other kinds, it hath afterwards obstinately retained its colour, notwithstanding my utmost endeavours to change it. I have refracted it with prisms and reflected it with bodies which in daylight were of other colours; I have intercepted it with the coloured film of air interceding two compressed plates of glass; transmitted it through coloured mediums and through mediums irradiated with other sorts of rays, and diversely terminated it; and, yet could never produce any new colour out of it. It would by contracting or dilating become more brisk or faint and by the loss of many rays in some cases very obscure and dark; but I could never see it changed in specie.
4. Yet seeming transmutations of colours may be made, where there is any mixture of divers sorts of rays. For in such mixtures, the component colours appear not, but by their mutual allaying each other constitute a middling colour. And therefore if by refraction or any other of the aforesaid causes the difform rays latent in such a mixture be separated, there shall emerge colours different from the colour of the composition. Which colours are not new generated, but only made apparent by being parted; for if they be again entirely mixed and blended together, they will again compose that colour which they did before separation. And for the same reason, transmutations made by the convening of divers colours are not real; for when the difform rays are again severed, they will exhibit the very same colours which they did before they entered the composition—as you see blue and yellow powders when finely mixed appear to the naked eye green, and yet the colours of the component corpuscles are not thereby transmuted, but only blended. For, when viewed with a good microscope, they still appear blue and yellow interspersedly.
5. There are therefore two sorts of colours: the one original and simple, the other compounded of these. The original or primary colours are red, yellow, green, blue, and a violet-purple, together with orange, indigo, and an indefinite variety of intermediate graduations.
6. The same colours in specie with these primary ones may be also produced by composition. For a mixture of yellow and blue makes green; of red and yellow makes orange; of orange and yellowish green makes yellow. And in general if any two colours be mixed which, in the series of those generated by the prism, are not too far distant one from another, they by their mutual alloy compound that colour which in the said series appeareth in the mid-way between them. But those which are situated at too great a distance, do not so. Orange and indigo produce not the intermediate green, nor scarlet and green the intermediate yellow.
7. But the most surprising and wonderful composition was that of whiteness. There is no one sort of rays which alone can exhibit this. 'Tis ever compounded, and to its composition are requisite all the aforesaid primary colours, mixed in a due proportion. I have often with admiration beheld that, all the colours of the prism being made to converge and thereby to be again mixed as they were in the light before it was incident upon the, prism, reproduced light, entirely and perfectly white, and not at all sensibly differing from a direct light of the sun, unless when the glasses I used were not sufficiently clear; for then they would a little incline it to their colour.
8. Hence therefore it comes to pass that whiteness is the usual colour of light, for light is a confused aggregate of rays endued with all sorts of colours, as they are promiscuously darted from the various parts of luminous bodies. And of such a confused aggregate, as I said, is generated whiteness, if there be a due proportion of the ingredients; but if any one predominate, the light must incline to that colour, as it happens in the blue flame of brimstone, the yellow flame of a candle, and the various colours of the fixed stars.
9. These things considered, the manner how colours are produced by the prism is evident. For of the rays constituting the incident light, since those which differ in colour proportionally differ in infrangibility, they by their unequal refractions must be severed and dispersed into an oblong form in an orderly succession from the least refracted scarlet to the most refracted violet. And for the same reason it is that objects, when looked upon through a prism, appear coloured. For the difform rays, by their unequal refractions, are made to diverge towards several parts of the retina, and there express the images of things coloured, as in the former case they did the sun's image upon a wall. And by this inequality of refractions they become not only coloured, but also very confused and indistinct.
10. Why the colours of the rainbow appear in falling drops of rain is also from hence evident. For those drops which refract the rays disposed to appear purple in greatest quantity to the spectator's eye, refract the rays of other sorts so much less as to make them pass beside it; and such are the drops on the inside of the primary bow and on the outside of the secondary or exterior one. So those drops which refract in greatest plenty the rays apt to appear red toward the spectator's eye, refract those of other sorts so much more as to make them pass beside it; and such are the drops on the exterior part of the primary and interior part of the secondary bow.
13. I might add more instances of this nature, but I shall conclude with this general one, that the colours of all natural bodies have no other origin than this, that they are variously qualified to reflect one sort of light in greater plenty than another. And this I have experimented in a dark room by illuminating those bodies with uncompounded light of divers colours. For by that means any body may be made to appear of any colour. They have there no appropriate colour, but ever appear of the colour of the light cast upon them, but yet with this difference, that they are most brisk and vivid in the light of their own daylight colour. Minium appeareth there of any colour indifferently with which 'tis illustrated, but yet most luminous in red, and so Bise appeareth indifferently of any colour with which 'tis illustrated, but yet most luminous in blue. And therefore minium reflecteth rays of any colour, but most copiously those endued with red; and consequently when illustrated with daylight, that is, with all sorts of rays promiscuously blended, those qualified with red shall abound most in the reflected light, and by their prevalence cause it to appear of that colour. And for the same reason bise, reflecting blue most copiously, shall appear blue by the excess of those rays in its reflected light; and the like of other bodies. And that this is the entire and adequate cause of their colours is manifest, because they have no power to change or alter the colours of any sort of rays incident apart, but put on all colours indifferently with which they are enlightened.
These things being so it can no longer be disputed whether there be colours in the dark, nor whether they be the qualities of the objects we see, no, nor perhaps whether light be a body. For since colours are the qualities of light, having its rays for their entire and immediate subject, how can we think those rays qualities also, unless one quality may be the subject of and sustain another—which in effect is to call it substance. We should not know bodies for substances were it not for their sensible qualities, and the principal of those being now found due to something else, we have as good reason to believe that to be a substance also.
Besides, who ever thought any quality to be a heterogeneous aggregate, such as light is discovered to be? But to determine more absolutely what light is, after what manner refracted, and by what modes or actions it produceth in our minds the phantasms of colours, is not so easy. And I shall not mingle conjectures with certainties.

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2014年1月 8日 (水)

炎色反応で紫の炎 ダイソーの魔界の炎  

ダイソーのパーティーグッズのコーナーに「魔界の炎」という紫の炎を出す玩具がありました。さっそく火をつけてみると、こんな感じの赤紫の火の玉ができあがりました。

Photo

炎が赤紫になっているのは金属元素の炎色反応によるものです。炎色反応についての詳しい説明は、このブログの過去の記事「花火の色のしくみ」を参照してください。

商品のパッケージにはエチレングリコールが主成分としか書いてありませんが、それだけではこのような色にはならないと思いますので、金属化合物が入っているのでしょう。例えば、赤色の炎を出す炭酸ストロンチウムと青色炎を出す酸化銅を使うと紫の炎を作ることができます。

さて、この炎、空中にふらふら浮く火の玉のように見えますが、実際にはこんな感じになっています。

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2013年11月30日 (土)

光源と物体の色のおはなし

■光源の色と物体の色

 私たちが色を見ることができるのは、光源を見ているときか、光で照らし出された物体を見ているときです。

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 光源の色は、光源から出た光を直接眼でとらえますから、光源が決まれば、眼で見える色が決まります。例えば、波長590 nmの光を出すナトリウム灯はオレンジ色に見えます。
 一方、物体の色は、光源から物体に届く光のうち、物体に吸収せれずに反射した光で決まります。

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 次の図は光源を太陽とした場合のリンゴとバナナの反射スペクトルを示したものです。

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 赤いリンゴは太陽光に含まれる青緑系の波長の光を吸収し、太陽光から青緑系の光を欠いた光を反射します。その反射光が私たちには赤く見えるのです。同様に、黄色いバナナは太陽光に含まれる青系の波長の光を吸収し、太陽光から青系の光を欠いた光を反射します。その反射光が黄色く見えます。

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 赤いリンゴに青緑系の光を当てると、反射する光がありませんからリンゴは黒っぽく見えます。また、黄色いバナナに青色系の光を当てると、同じ理由で黒っぽく見えます。このように、多くの物体の色は「光源の光」と「物体が吸収・反射する光」で決まります。赤いリンゴや黄色いバナナは、昼間の太陽光のもとでは赤色や黄色ですが、光源が変われば見える色も変わります。私たちは普段何も気にすることなく「リンゴは赤色」「バナナは黄色」としていますが、暗黙の了解で光源を昼間の太陽としているのです。

■色の基準となる光は太陽光

 私たちの視覚は太陽のもとで発達してきました。ですから、太陽光は人間にとって最も自然で理想的な光であり、太陽は私たちが見ている色の基準となる光源です。

 太陽から地球にやってくる電磁波は地球の大気で散乱・吸収されます。例えば、人体に有害なガンマ線やエックス線は大気で吸収され、ほとんど地表に届きません。紫外線・赤外線も、その一部しか地表に届きません。可視光線は大気で散乱・吸収されますが、すべての波長領域の光が地表に届きます。このように大気は太陽光に対してフィルターのような働きをしています。多くの生物の視覚は主に大気のフィルターを通り抜けてきた可視光線に適応しながら進化してきたのです。

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■標準の光

 物体の色は物体を照らし出す光によって違って見えます。太陽光、白熱電灯、蛍光灯のもとでは、同じ色もわずかに違って見えます。色を厳密に定義するためには、光源を特定する必要があります。そこで、私たち人間の視覚にとって理想的な太陽光をもとに標準の光が定められています。その中でも色を定義する光として、D65が基準とされています。D65は紫外線を含む昼間の太陽光で照らされた物体の色を測定するために用いられる標準の光です。D65に紫外線が含まれているのは、紫外線が当たると蛍光を発する物体があるからです。現在、D65の標準の光を忠実に再現する光源はありませんが、D65の標準の光に近い光源が標準光源として使われています。

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■白色光はどんな光

 白色光はよく「可視光領域の波長の光をすべて含んだ光」「無色の光」などと定義されます。また、物理的にはすべての波長の電磁波を同じ強さで含む光と定義されることもあります。しかし、物体の色について考える場合、昼間の太陽光とほぼ同じように物体の色を再現できる光を白色光としてよいでしょう。

 太陽光は理想的な白色光ですが、実際には黄色い光をたくさん含んでいます。白熱電灯も黄色い光をたくさん含む白色光です。三波長形蛍光灯は赤・緑・青の光を混合した白色光を出しています。一般的な白色LEDは、青色の光を蛍光物質に当てることによって黄色い光を発光させ、青色と黄色の光を混合した白色光を出しています。

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 これらの電灯は、さまざまな波長の可視光線を均等に含んだ光を出しているわけではありませんし、それぞれ光の成分は異なります。しかし、物体の色を再現するという点においては、私たちが日常使う電灯が出している光は白色光と呼んで差し支えありません。

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2013年10月17日 (木)

踊るペンキ! カラー・スピーカー

スピーカーのコーンに赤色、黄色、緑色、青色のペンキを注いで、音を鳴らします。その様子を、超高速撮影した映像です。

音楽を鳴らすと、ペンキが涌き立ちます。まるで踊っているかのようです。

Paint on a Speaker at 2500fps - The Slow Mo Guys

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