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2012年9月20日 (木)

光速の測定実験は航海図の作成がきっかけだった

地図の作成が光速の測定のきっかけを作る

 1670年代にパリの天文台台長を務めていたイタリアの天文学者ジョバンニ・カッシーニは、木星の衛星や土星の衛星を観測し、天体観測で多大なる功績を残しました。

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 この時代は、ヨーロッパ諸国が海外進出をした大航海時代が終盤に差し掛かった頃でした。多くの航路が発見され、盛んに貿易が行われるようになると、船の安全な航行が求められるようになりましたが、そのためには正確な地図が必要です。そして、船が自分の位置を知るためには、周囲に何もない洋上でも、南北を位置を表す緯度と東西の位置を表す経度を正確に求めなければなりません。

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 南北の位置を表す緯度は、地平線もしくは水平線と太陽や北極星のなす角度から比較的簡単に求めることができました。

 一方、東西の位置を表す経度を求めるためには、基準の位置と自分が存在する位置の時差を知る必要があります。

 しかしながら、当時は正確な時計がなかったため、緯度を正確に求めることはできませんでした。そのため、いかにして正確に緯度を求めるかが、正確な地図を作るうえで、重要な鍵になっていました。

 2つの地点の時差がわかると経度を求めることができる原理を考えてみましょう。いま、船が出港地で太陽が南中する正午に時計を12:00に合わせて出航したとします。船がある地点に到達したとき、太陽が南中する正午に時計を見ると、時間は12:00からずれているはずです。

 この時間のずれから、出港地とその地点の時差を求めることができます。地球は24時間で1回転していますので、1時間あたりの経度は15度になります。ですから、出港地との時差がわかれば、出港地からの何度のところにいるのかがわかるので経度を求めることができます。

 現在、経度の基準となっているのはイギリスのグリニッジ天文台です。グリニッジ天文台で正午に12:00に合わせた時計を日本の兵庫県明石市で正午に見ると、時計は3:00を示します。つまり、時計が9時間が遅れていることがわかります。これは日本の時間がグリニッジ天文台の時間より9時間早いことを意味します。時差は+9時間ですから、明石市の緯度は15度×9時間ですから東経135度ということになります。

最初に経度を求める方法を提案したのはガリレオだった

 昔はヨーロッパの多くの国が自国の天文台を基準にした地図を作成しようと、経度を正確に決定する方法に懸賞金をかけていました。この懸賞金を目的に多くの天文学者が経度を求める方法を研究しました。

 イタリアのガリレオは1610年に自作の望遠鏡で木星の4つの衛星を発見していますが、これらの衛星の食(衛星が木星の裏側に隠れる現象)が規則的に起こることから、世界のどこからでも確認できる標準の時計として使えると考え、経度を決定する方法を提案しています。しかし、この方法で経度を求めるには詳細な観測データが必要でした。

  ガリレオの経度を求める方法は後にカッシーニによって実現されました。この詳細な観測データと天体歴から、基準となる地点との時間差を求めることができ、経度差を計算できるようになりました。

 しかし、この方法は衛星の観測に時間がかかるという欠点がありました。そのため、この方法は地上で経度を求める目的には使えましたが、洋上で船が経度を求める目的には使えませんでした。

 また、詳細な観測データが得られると、木星の衛星の食が始まる時間が季節によって異なることが判明しました。つまり、季節によって経度が変わってしまうことがわかったのです。ところが、カッシーニはその原因を突き止めることはできませんでした。

光速は有限であることを証明したレーマー

著名なカッシーニのもとにやってきたのが、デンマークの天文学者オーレ・レーマーです。

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当時、光速は無限と考えられていましたが、レーマーは木星の食が始まる時間が季節によってずれることから、光速が有限であることを突き止めました(詳細)。彼は1676年にパリ科学アカデミーの機関誌に「光の運動の証拠」という論文を発表しています。

この論文で、彼は、季節によって木星の衛星の食が始まる時間がずれるのは、光速が有限であり、衛星から地球まで光がやってくる時間が季節によって変動するからだと結論づけました。

この現象はカッシーニも気がついていましたが、カッシーニは光速は無限大と考えていたため、時刻のずれの原因を突き止めることはできなかったのです。

カッシーニはレーマーの結論を認めませんでしたが、イギリスの物理学者アイザック・ニュートンやオランダの物理学者クリティアーン・ホイヘンスはレーマーの考えを支持しました。

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