カラー写真の始まり 写真の仕組み(4)
カラー写真の始まり
カラー写真の発明以前は、職人が色材を使って白黒写真を手で着色していました。もともとカメラ・オブスクラは絵を描く道具として使われていたこともあって、当時の職人たちにとって白黒写真への着色は必ずしも面倒な作業ではなかったようです。それでも白黒写真が発明された1820年代には既にカラー写真の研究が行われていました。写真技術の目標は初めからカメラ・オブスクラの像を色の情報を含めてそのまま記録することだったに違いないからでしょう。
実際のところ白黒写真を着色する方法は実用的なカラー写真術が開発されてからも行われていました。次の写真は1930年に写真家がモスクワを訪問したときに撮影した白黒写真を着色したものです。
Coloured Pictures of Old Moscow, Part II | English Russia
http://englishrussia.com/2011/05/27/atmospheric-pictures-of-old-moscow/
世界で初めてカメラ・オブスクラの像を白黒写真として残すことに成功したニエプスと、ニエプスに協力して後にダゲレオタイプと呼ばれる実用的な写真術を開発したダゲールもカラー写真の研究を行っていたようです。
彼らが研究していたのは実用的なカラー写真が発明される100年も前のことです。ニエプスが残した手紙によれば、彼らは光で変色する化学物質の開発を行い、プリズムでできる光の色を全てではないにしろ何とか記録することに成功したようです。彼らがどのような方法でカラー写真を実現しようとしたのか詳しい記録は残っていませんが、彼らの試みはその後のカラー写真の研究開発の大きな励みとなったようです。
カラー写真を初めて撮影したのは
1840年、フランスの物理学者アレクサンドル・エドモン・ベクレルは、本質的意は赤色光や黄色光に対して感応しない銀のハロゲン化物が、青色光、紫色光、そして紫外線への露光時間に応じて感応するようになることを発見しました。強い赤色光と黄色光を露光することによる銀塩写真が実現できるようになりました。しかし、この技術は使われることはほとんどありませんでした。彼は、1848年にカラー写真の作成に成功していますが、露光時間が非常に長い上に、定着することができなかったため、写真として残すことができませんでした。なお、放射線を発見したアンリ・ベクレルは彼の息子です。
1850年、米国の牧師レヴィ・ヒルは当時としては鮮明なカラー写真を撮影することに成功しました。彼はこの写真術をヘリオクロミーと名付けましたが、その方法を十分に明らかにしないまま死亡してしまいました。
ヒルの残した写真には顔料で着色したものがあったため、ヘリオクロミーは非常に懐疑的な技術であると考えられました。しかし、その後の研究では、ヘリオクロミーで鮮明ではないにしろ、色を生じさせることができることがわかりました。1860年頃にニエプスの甥がヒルと同様な方法でカラー写真を撮影することに成功しています。
彼らのカラー写真術を直接カラー法と呼びます。ある色の光が当たると、その色を発色する感光剤を使ったものでした。写真を定着することができなかったため、実用的なカラー写真術にはなりませんでした。
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