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2012年5月

2012年5月31日 (木)

学研の『科学』が書籍として復活

2009年3月で休刊した学研の小学生向けの雑誌『科学』が書籍として、7月10日に復活するそうです。

Kagaku1

 7月10日発売の第一巻の付録は7月10日発売の第一巻の付録は、水溶液の性質(酸性、アルカリ性)を調べることができる「水よう液実験キット」だそうです。

Kagaku2

 学研の『科学』が創刊されたのは1957年で、以来52年間販売を続けてきましたが、少子化の影響などによって販売部数が低下し、2009年3月にその歴史の幕を閉じていました。

 自分は『科学』はそれこそ2009年3月まで付録によっては購入していたのですが、休刊になることをとても残念に思っていました。しかし、休刊時においても『科学』『学習』あわせて70万部の売り上げがあったと聞き、これは重要がないわけではないので、そのうちそのうち同社の『大人の科学』のように書籍のスタイルで販売されるであろうと考えていました。

 これでまたひとつ楽しみが増えました。

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透明人間現る 透明人間になるおはなし(1)

透明人間 現る

Photo ある寒い日の朝、イギリスの片田舎の村の宿屋に一人の怪しい男がやってきた。

 その男は部屋にたくさんの薬のびんを持ち込んで閉じこもり、化学実験を始めた。男は、怪我をしているわけでもないのに頭から顔まで包帯でぐるぐる巻きした怪人のような出で立ちをしていた。

 やがて、男の気味の悪い姿と行動に、村の人々がお前は何者かと追求すると、その男は頭から包帯を外し、自分の正体を明かした。そこには、顔の部分に何もない首なしの男が立ちつくしていた。

 なんと、男は実験で体を透明にする薬を発明した、透明人間だったのである。

 これはイギリスのSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズが1897年に出版した「透明人間」という小説の中の話です。

体が透明な生物は実在する

 体を透明にするのは小説の中の話と思われるかもしれませんが、生物の中には透明に近い体をもつものもいます。例えばトランスルーセントグラスキャットフィッシュという淡水魚は色素がない透明な体をしていて透けて見えます。

Indischer Glaswels - Glass Catfish

その他、このブログで透明なカエルや頭部だけが透明な魚を紹介してありますので、参照してみてください。

私たちの体にも透明な部分はある

 私たち人間にも透明な部分はあります。それは眼の中でレンズの働きをしている水晶体です。水晶体はクリスタリンという透明なタンパク質でできています。次の写真はマダラの水晶体です。

Photo_2

 水晶体が透明なのは、光を目の中に取り入れるためですが、目の中に入った光は網膜上に像を結びます。 もし、網膜が透明だとすると、光は網膜を通り抜けてしまうので、ものが見えなくなってしまいます。

 また、網膜だけが不透明でも駄目でしょう。明るいところで映画を見ているのと同じ状態にです。まわりからの光がたくさん入るため、余計な光の影響でものが見えなくなります。

 ですから、SFの小説やF映画などに出てくる透明人間には、目の部分が透明ではないように描写されているものも多いです。

透明人間にはなれないが、見えない人間にはなれる

 私たちが透明人間になるためには、私たちの体を作るすべての物質を透明にする必要があります。

 実際のところ、体を透明に変える方法で透明人間になるのは不可能です。ですから、透明人間になろうとするならば、まわりから体そのものを見えなくしたり、体を透けて見えるようにしたりするなどの工夫をするしかありません。

 幸いウェルズの小説の原題はInvisible Man 、つまり「見えない人間」です。私たちは物体に当たって反射する光や物体が発する光でものを見ています。ですから、物体からやってくる光をうまくコントロールすることができれば「見えない人間」は実現できそうです。

 このように物体からやってくる光を何らかの方法でコントロールして、物体を視覚的に透明にする技術を光学迷彩といいます。光学迷彩はSFでよく使われる言葉ですが、実用化に向けての研究・開発が進められています。どのような工夫があるか考えてみましょう。

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2012年5月29日 (火)

Opticks by Sir Isaac Newton / Project Gutenberg

Project Gutenbergでは、イギリスの物理学者アイザック・ニュートンの「光学(Opticks)」を参照することができます。

Opticks by Sir Isaac Newton
http://www.gutenberg.org/ebooks/33504

Newton_opticks

光学はニュートンの光の研究の成果を集大成した本です。ニュートンの光学というと、太陽光のプリズムによる分散の実験が有名ですが、ニュートンはこの本で光は粒子であると主張し、光の様々な現象を説明しています。光の波の性質である干渉・回折などについても、ニュートンはあくまでも粒子説の立場で解説しています。光が透明な物質を透過したり、反射したりする現象、複屈折の現象の説明などを粒子説で説明するのは、ニュートンにとっても、かなり厳しい状況だったことが伺えます。

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2012年5月28日 (月)

古代ギリシャの哲学者タレスが予言した皆既日食(紀元前585年5月28日)

 古代ギリシャの都市ハリカルナッソスの歴史家ヘロドトスの「ヒストリア(歴史)」という著書に、紀元前6世紀に行われた戦争中に、昼が夜に変わり、双方の兵士たちが戦いをやめ、和平を急ぐ気持ちになったということが記されています。これは紀元前585年5月28日に起きた皆既日食のことと考えられています。

 同書によると、この日食は古代ギリシャのイオニア地方で発祥したミレトス学派の始祖であるタレスが予言していたようです。もちろん、タレスの予言は現在のように○月○日○時○分のような予言ではありませんでした。ヘロドトスのヒストリアから伺えるのは、タレスの日食の予言は年単位であっただろうということです。

ミレトスのタレス
ミレトスのタレス

 もちろん、タレスが日食が生じる詳しい仕組みや計算方法を知っていたわけではありません。しかし、古代から天球上での太陽と月の動きは知られていて、太陽と月が重なる時期については、ある程度の予想ができていたと考えられます。

 タレスが活躍していた当時、ミレトスは地中海交易の拠点であり、様々な国から多くの人々が訪れ、異文化交流が進みました。それによって、これまでそれぞれの地域の人々が信じていた神学的な世界観や価値観は、崩れ始め、多様化し、混乱しました。そのような中で、世界の仕組みや、身の回りの自然現象などについて、普遍的な真理の追求が行われるようになり、これが哲学となりました。その哲学の祖となったのがタレスです。

 おそらく、この異文化交流によって、タレスはさまざまな情報を入手したのだろうと思います。その中には、日食に関する記録もあったのではないかと思います。

 もし、タレスがたくさんの日食の記録が入手でき、その周期性に気がつけば、日食が起きる時期をおおまかに予言することは難しいことではなかったでしょう。

 タレスは紀元前585年5月28日に日食が起きると予想したわけではありませんから、当時の人々の認識は今年中に日食が起きるという予言があるという程度だったでしょう。多くの人がその予言を信じていたかどうかはわかりません。

 しかし、5月28日に行われた戦争中にその予言が見事的中したのです。しかも、日食は部分日食ではなく、皆既日食でした。あたりが暗くなり、昼が夜に変わったことにより、兵士たちは驚いたと思います。彼らは浮き足立ち、そして早く元通りの世界に戻ってくれと、和平を願ったのでしょう。

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2012年5月26日 (土)

Micrographia by Robert Hooke / Project Gutenberg

昨日紹介したProject Gutenbergで、ロバート・フックのミクログラフィアの電子書籍をダウンロードすることができます。単純なhtmlで書かれたWebページも参照することが可能です。

Micrographia by Robert Hooke
http://www.gutenberg.org/ebooks/15491

顕微鏡は1590年頃にオランダのヤンセン親子によって発明されましたが、その発展は顕微鏡に比べ大きく遅れました。ものを拡大して見る道具としては、凸レンズ1枚のルーペで十分だったからと考えられます。

 イギリスのロバート・フックは拡大率が数十倍の凸レンズを2枚使った複式顕微鏡を作り、さまざまな動植物の観察を行いました。下図はフックが作った顕微鏡のスケッチです。

Roberthookmicroscope1

 フックはコルクに無数の小さな部屋があることを発見し、その部屋のことをcella(ラテン語で細胞という意味、英語ではcell)と名付けました。1665年に出版されたミクログラフィアに、フックが観察したたくさんの動植物のスケッチが掲載されています。これらのスケッチは上記のサイトで参照することができます。

Roberthookmicroscope2

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2012年5月25日 (金)

著作権が切れた昔の書籍をダウンロードできるサイト Free eBooks by Project Gutenberg

Free eBooks by Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルグ) は米国の著作権法のもとで著作権の切れた書籍などの全文を電子化して公開するという目的で1971に設立された電子図書館のプロジェクトです。プロジェクトの名前は印刷の父と言われたヨハネス・グーテンベルグに由来しています。

Free eBooks by Project Gutenberg
http://www.gutenberg.org/

Projectgutenberg

サイトの左側上にある search book catalog のところにキーワードを入れて検索することができます。目的の書籍が見つかると、HTML形式、EPUB形式、MS WORD形式などのデータファイルとしてダウンロードすることができます。

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Google Scinece Fair 2012

Googleは世界中の13~18歳の学生を対象にしたGoogle Science Fair 2012のファイナリストを発表しました。

ようこそ - Google サイエンス フェア
http://www.google.com/intl/ja/events/sciencefair/index.html

世界中の学生から面白い研究成果がたくさんノミネートされていますが、日本からは関西学院高等部 数理科学部が選出されました。

関西学院高等部 数理科学部の研究テーマは「一枚の正方形の形をした紙からどのようにすればより大きな容積を持つ容器を作ることができるか?」です。

どのような研究かは次のページで閲覧することができます。

プロジェクトの概要
https://sites.google.com/a/googlesciencefair.com/science-fair-2012-project-ahjzfnnjawvuy2vmywlyltiwmtjydwssb1byb2ply3qy7-uhda/home

上部のボタン(ステップ1、ステップ2…)でページを切り替えると詳細を見ることができます。

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2012年5月23日 (水)

減色法によるカラー写真の仕組み 写真の仕組み(6)

色の三原色によるカラー写真の実現

 1869年、フランスのオーロンはC(Cyan、シアン)、M(Magenta、マゼンタ)、Y(Yellow、イエロー)の色の三原色を利用した写真術を考案しました。彼が考案した方法は、色光を混ぜて色を作るマクスウェルの加色法に対し、光の吸収体である色材を混ぜて色を作ることから減色法といいます。加色法は光の三原色のフィルタと白黒感光剤で色を作りますが、減色法は光で感光剤そのものを色の三原色に発色させて色を作ります。現在の銀塩カラー写真の原理は全て減色法です。

減色法は手順が煩雑なため1930年代中頃にコダック社が実用的なフィルムの販売を開始するまではほとんど普及せず、加色法が主流でした。

カラーフィルムの仕組み

  カラーフィルムの構造は大雑把に光の三原色で発色する青色感光層、緑色感光層、赤色感光層と、緑色感光層と赤色感光層に青色光が入るのを防ぐイエローフィルタ層の4つの層からなります。

 カメラのシャッターを切ると、フィルムの各感光層が特定の色の光で感光します。このとき、白黒写真と同じように臭化銀が銀に変化して潜像ができます。

 フィルムを現像すると、現像液の成分が各感光層にできた銀と結びつくことによって潜像が明瞭になります。同時に各感光層はそれぞれが感じ取る光の色の補色を発色します。青色感光層はイエロー、緑色感光層はマゼンタ、赤色感光層はシアンに変化します。このように補色に変化することを一般に色の反転といいます。

Photo

 例えば被写体からの赤色光は次の図のように赤色感光層を感光します。赤色感光層は現像によって赤色の補色であるシアンを発色します。

5

生成した銀が残ると発色した色が黒ずんでしまいます。そこで、定着時に生成した銀をフィルム上に残った臭化銀と一緒に漂白します。

プリントの仕組み

 次にカラー写真のプリントについて考えてみましょう。カラーの印画紙にもフィルムと同様に3種類の感光剤が塗ってあります。

 ネガフィルムに光を当て引き伸ばしを行って印画紙上に像を作ると、この像の光によって印画紙の感光層が感光します。印画紙を現像すると、ネガの色と反転した色ができ、被写体の色が印画紙に再現されます。例えばシアンの光は、次の図のように緑色感光層と青色感光層を感光させます。この印画紙を現像すると、緑色感光層はマゼンタ、青色感光層はイエローを発色します。マゼンタとイエローは混ぜると赤色になりますので、印画紙上で被写体の赤色を再現することができます。

6

カラー写真と光と色の三原色の関係

次の図は光と色の三原色を示したものです。また、被写体の色、現像時のフィルムの色、プリント時の印画紙の色の関係を表にまとめました。表をじっくり見ると、カラー写真でどのように色が再現されているのかがわかると思います。

Photo

光の三原色と色の三原色の足し算と引き算

W=R+G+B C=G+B M=R+B Y=R+G
K=Y+M+C R=Y+M G=Y+C B=M+C

補色

R=W-C  G=W-M  B=W-Y
Y=W-B  M=W-G  C=W-R

フィルムの現像とプリントによる発色

  被写体の色
(反射光)
W K R G B C M Y
フィルム 青色感光層 Y Y Y Y
緑色感光層 M M M M
赤色感光層 C C C C
ネガ K W C M Y R G B
プリント 赤色感光層 C C C C
緑色感光層 M M M M
青色感光層 Y Y Y Y
印画紙 W K R G B C M Y

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2012年5月22日 (火)

東京スカイツリーから見える地平線までの距離

 本日2012年5月22日、東京スカイツリーがオープンしました。

 東京スカイツリーの展望台からどれぐらい先まで見えるかを計算で求めてみましょう。

 東京スカイツリーの高さは634 mです。第1展望台の高さは350 m、第2展望台の高さは高450 m、アンテナの高さは610 mです。

 次の図は高さ450 mの第2展望台から地平線を見たときの様子を示したものです。第2展望台からはθ度分だけ離れた距離にしてH km先まで見えることになります。

 地球の中心、展望台、地平線の3点が作る直角三角形に注目して、三角関数を使うか、三平方の定理を使うと、Hを求めることができます。それでは、三角関数を用いて求めてみましょう。

Skytree

①第1展望台から見える地平線までの距離

 まず、cosθ = 底辺/斜辺 を考えます。

 底辺は地球の半径ですから、6378 kmになります。一方、斜辺は(地球の半径+展望台の高さ)ですから、6378.35 kmになります。

 すると、

  cosθ = 6378/6378.35  → θ=0.60度

となります。

 次に、tanθ=高さ/底辺 を考えます。

 底辺は地球の半径ですから、6378 kmとなります。一方、高さはHとなります。

 すると、

  tanθ = H/6378  → H = 6378tanθ

となります。θ=0.6度を代入すると

H = 6378 tan(0.6) = 66.8 km

になります。

②第2展望台から見える地平線までの距離

計算方法は1と同じです。

cosθ = 6378/6378.45 → θ= 0.68度

H = 6378 tan(0.68) = 75.7 km

となります。

③アンテナから電波が直進で到達できる地面までの距離

これも計算方法は同じです。

cosθ = 6378/6378.61 → θ= 0.79度

H = 6378 tan(0.68) = 88.2 km

となります。

おまけ…

①地球上に立っている身長170 cmの人から見える地平線までの距離の計算は次の通りです。

cosθ=6378/6378.0017  → θ=0.042度

H = 6378 tan(0.042) = 4.66 km

非常に近い。歩いて1時間程度のところに地の果てがあることになります。

 無人島で遭難した人が、島の近くを航行する船に助けを呼ぶことを考えてみましょう。この状態だと、自分のいるところから4.7 kmの範囲までしか船を探すことができません。ですから、遠くの船を探すには、できるだけ高い木に登った方が良いのです。狼煙をあげると、遠くの船からでも立ち昇る煙を見つけてもらうことができます。

②東京タワーのメインデッキ(150 m)

cosθ=6378/6378.15  → θ=0.393度

H = 6378 tan(0.393) = 43.74 km

③東京タワーのトップデッキ(250 nm)

cosθ=6378/6378.25  → θ=0.507度

H = 6378 tan(0.507) = 56.47 km

④Hは次の式で求めることもできます。

H=θ/360×2πr  (2πrは地球の円周)

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2012年5月21日 (月)

雲の中の天体ショー 金環日食 

 6時に起床して空を見上げると、どんよりとした曇り空。薄い部分もありそうなのですが、とても日食が見える雰囲気ではありませんでした。

それでも、諦めずに待っていると、おっと太陽が見えそうな雰囲気になってきましたよ。

P5211096

出ました、来ました!部分日食です。

P5211098_3

テレコンバージョンを取り付けて、望遠で撮影。ズームっ!

P5211099

ズームっ!

P5211102_2

いい調子だったのですが、この後、太陽は雲の中に隠れてしまいました。テレビのニュースでは和歌山で金環食が始まったみたいなことを言っています。関東圏はまだ金環日食にはなっていないはずです。

雲よ!なんて考えていたら、雲のフィルターの中に太陽が見えてきました。まだ、完全な金環食ではありません。間に合った!

P5211124

雲から出たり隠れたりしながらも、なんとか金環日食を観察することができました。近所のご家族、子どもたちも、大喜びです。

これがおそらく食の最大です。いまいちです。雲が邪魔でした。

P5211132

そして、この写真です。あれ?輪の上に人の顔のような影が見えるぞということに。

P5211137_3

そろそろ、金環日食も終わりに近づいています。

P5211141

月が太陽を通過していきます。

P5211145_3

部分日食です。

P5211160

この後、残念ながら再び雲が太陽を隠してしまいました。

P5211163

さようなら、金環日食!すばらしい天体ショーをありがとう!

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2012年5月18日 (金)

日本で初めて商業衛星打ち上げに成功 H2Aロケット

18日午前1時39分、三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)が種子島宇宙センターからH2Aロケット21号機を打ち上げました。このH2A21号機には韓国の多目的実用衛星アリラン3号とJAXAの水循環変動観測衛星「しずく」が搭載されています。

H2Aは高度約680キロの周回軌道に達し、約16分後にアリラン3号を、約23分後にしずくを切り離しました。その後、九州工業大の鳳龍2号、JAXAの小型衛星2基を軌道に投入しました。すべての衛星は軌道を正常にまわっているようです。

韓国のアリラン3号は高解像度光学カメラを備えており、地上を撮影して解析する目的の衛星です。

JAXAのしずくは地上からの微弱なマイクロ波を受信することができるセンサーを搭載した水循環変動観測衛星です。地上の水分量、大気中の雨や水蒸気、海面温度の変動などを調べることができ、水環境の変動に関する研究、気象観測の精度向上などが期待されます。しずくはいわゆるリモートセンシングの衛星です。

 →【関連記事】宇宙から地球を監視する リモートセンシング(光と色と)

さて、アリラン3号は韓国から三菱重工業が打ち上げを受注したものです。今回のH2Aロケットの打ち上げ成功は、日本初の商業衛星の打ち上げ成功となりました。

H2Aロケットは2005年7号機から15回連続で打ち上げに成功しています。打ち上げの信頼性、衛星投入の正確性も高まっています。海外のロケットとの競争も厳しい状況ではありますが、今回のH2Aロケットの打ち上げは、日本の商業衛星打ち上げの受注増加の期待を広げるものとなりました。

次の動画はJAXAが公開したものです。ロケットの説明、衛星の説明などがありますので、全部で1時間以上の長さがあります。打ち上げは38分ぐらいから見ることができます。38分25秒ぐらいに点火です。

第一期水循環変動観測衛星「しずく」打ち上げライブ中継

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2012年5月17日 (木)

単色光 - 用語

 単色光(たんしょくこう)は、太陽光線などをプリズムなどで分散したときに、それ以上、分けることができない光のことです。つまり、単一の波長(振動数、周波数)の電磁波のことです。

 街灯や高速道路の照明に使われているナトリウムランプが出す黄色の光は単色光です。また、赤色や青色などのLEDが出す光も単色光です。レーザー光は、光の波の位相がそろった単色光です。

 LEDの光にしろ、レーザー光にしろ、実際に存在する単色光はある程度の波長幅をもった光です。厳密に単一波長の単色光は電磁波の性質から作り出すことはできません。

 色セロハンを取り付けた白熱電球などから出る色光を単色光と呼んでいる人が時々見受けられますが、用語の使い方を誤っています。

 色セロハンは、その色に見える光を通しますが、その光はかなり幅広い波長範囲の光ですから、とても単色光とは言えません。

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2012年5月16日 (水)

加色法によるカラー写真の仕組み 写真の仕組み(5)

光の三原色フィルターで白黒ネガに色を記憶

1861年、イギリスの物理学者マクスウェルはR(Red、赤)、G(Green、緑)、B(Blue、青)の光の三原色を利用したカラー写真の原理を示す実験を行いました。

 彼は被写体に色柄のタータンリボンを選び、カメラのレンズにRフィルタ、Gフィルタ、Bフィルタを交換して取り付けながら、3枚の写真を撮影しました。

 R、G、Bのフィルタはそれぞれ赤色、緑色、青色のセロハンのようなものです。Rフィルタは赤色光を透過、Gフィルタは緑色光を透過、Bフィルタは青色光を透過します。それぞれのフィルタを使って写真を撮影すると、感光板はフィルタを透過した色光で感光することになります。

2

 このようにしてできた3枚の感光板は白黒ネガですが、ネガの濃淡はフィルタを透過してきた色光の濃淡に相当します。つまり、被写体からの光をR、G、Bのフィルタで光の三原色に分解することによって、被写体の色を3枚の白黒ネガに記録したのです。

白黒ネガからカラー画像を再現

 マクスウェルは上述の方法で作成した3枚のネガから幻灯機用のポジスライドを3枚作りました。そして、それぞれのスライドを3台の幻灯機にかけました。このとき、それぞれの幻灯機には白黒ネガを作成するときに使った色のフィルタを取り付けました。

 3台の幻灯機の像をスクリーンに映すとには、それぞれ赤色、緑色、青色の3つのリボンの像が映し出されました。そして、その像をぴったりと重なるように投影すると、スクリーンにリボンのカラー画像が映し出されたのです。

3

これがマクスウェルが撮影したタータンリボンの現存の写真です。

733pxtartan_ribbon

 この方法ではスクリーンにできたカラー画像を写真として残すことはできません。しかしながら、光の三原色のフィルタを用いて被写体の色を記録するというアイデアは初期のカラー写真の原理となりました。この方法は色光の足し算で色を作ることから加色法と呼ばれます。

Lumrast_1 1903年、フランスのルミエール兄弟はオートクロームという世界で初めて商業的に成功した加色法の写真術を考案しました。これは白黒感光板に光の三原色に染色したデンプンを塗布したものです。この染色した3色のデンプンが赤、緑、青のフィルタの役割を果たしました。

 オートクロームの写真を顕微鏡で拡大して見ると、テレビの画面をルーペで拡大して見たときと同じように光の三原色が見えます。

マクスウェルの実験、原理は正しいが、結果は偶然だった?
この時代の感光剤は青色光には感光しましたが、緑色光や赤色光には感光しませんでした。緑や赤の感光板はフィルタを透過してきた青色光や紫外線で感光したと考えられています。

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2012年5月15日 (火)

カラー写真の始まり 写真の仕組み(4)

カラー写真の始まり

 カラー写真の発明以前は、職人が色材を使って白黒写真を手で着色していました。もともとカメラ・オブスクラは絵を描く道具として使われていたこともあって、当時の職人たちにとって白黒写真への着色は必ずしも面倒な作業ではなかったようです。それでも白黒写真が発明された1820年代には既にカラー写真の研究が行われていました。写真技術の目標は初めからカメラ・オブスクラの像を色の情報を含めてそのまま記録することだったに違いないからでしょう。

 実際のところ白黒写真を着色する方法は実用的なカラー写真術が開発されてからも行われていました。次の写真は1930年に写真家がモスクワを訪問したときに撮影した白黒写真を着色したものです。

8

Coloured Pictures of Old Moscow, Part II | English Russia
http://englishrussia.com/2011/05/27/atmospheric-pictures-of-old-moscow/

 世界で初めてカメラ・オブスクラの像を白黒写真として残すことに成功したニエプスと、ニエプスに協力して後にダゲレオタイプと呼ばれる実用的な写真術を開発したダゲールもカラー写真の研究を行っていたようです。

 彼らが研究していたのは実用的なカラー写真が発明される100年も前のことです。ニエプスが残した手紙によれば、彼らは光で変色する化学物質の開発を行い、プリズムでできる光の色を全てではないにしろ何とか記録することに成功したようです。彼らがどのような方法でカラー写真を実現しようとしたのか詳しい記録は残っていませんが、彼らの試みはその後のカラー写真の研究開発の大きな励みとなったようです。

カラー写真を初めて撮影したのは

 1840年、フランスの物理学者アレクサンドル・エドモン・ベクレルは、本質的意は赤色光や黄色光に対して感応しない銀のハロゲン化物が、青色光、紫色光、そして紫外線への露光時間に応じて感応するようになることを発見しました。強い赤色光と黄色光を露光することによる銀塩写真が実現できるようになりました。しかし、この技術は使われることはほとんどありませんでした。彼は、1848年にカラー写真の作成に成功していますが、露光時間が非常に長い上に、定着することができなかったため、写真として残すことができませんでした。なお、放射線を発見したアンリ・ベクレルは彼の息子です。

 1850年、米国の牧師レヴィ・ヒルは当時としては鮮明なカラー写真を撮影することに成功しました。彼はこの写真術をヘリオクロミーと名付けましたが、その方法を十分に明らかにしないまま死亡してしまいました。

Hillotype

 ヒルの残した写真には顔料で着色したものがあったため、ヘリオクロミーは非常に懐疑的な技術であると考えられました。しかし、その後の研究では、ヘリオクロミーで鮮明ではないにしろ、色を生じさせることができることがわかりました。1860年頃にニエプスの甥がヒルと同様な方法でカラー写真を撮影することに成功しています。

 彼らのカラー写真術を直接カラー法と呼びます。ある色の光が当たると、その色を発色する感光剤を使ったものでした。写真を定着することができなかったため、実用的なカラー写真術にはなりませんでした。

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2012年5月13日 (日)

家の中で打ち上げ花火ができる玩具

部屋の中で花火を打ち上げることができる玩具です。ショットガンのフォアエンドようなレバーを引き、引き金を引くと、花火の打ち上げ音が鳴り、花火の映像が投影されます。

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どんな感じになるのかは、下記の映像を見るとわかります。なかなか面白いおもちゃです。

Fireworks Light Show In My Room

Uncle Milton Fireworks Light Show Hands on Review

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季刊 理科の探検 (RikaTan) 2012年 夏号(05月号) 創刊

季刊 理科の探検 (RikaTan) 2012年 夏号(05月号)が創刊しました。

発売日は、26日です。全国の書店で販売されています。

20120403124439

出版社: 文理; 季刊版 (2012/5/26)
ASIN: B0082D3WU2
発売日: 2012/5/26

特別付録

「きれいな大判の元素周期表」付き

Periodictable

目次

  • フロンティアショット ダイヤにぎゅーっと抱(いだ)かれて、地球の芯(コア)の夢を見る鉄 木原 久美子
  • 目次
  • また、はれときどきカメ 林本 ひろみ
  • ニッポン野生生物リサーチ戦隊【第一話】 ニッポン野生生物リサーチ戦隊参上! 里中 遊歩
  • 幼児向けの「造形かがく遊び」の教室から 染め遊び 黄色、藍色に染めよう 立花 愛子
  • 極めてデジフォト 第7回 星の時計のポラリエ 池田 圭一
  • ちょい悪おやじの生物学 第一回 ドラッグストアで学ぶ 青野 裕幸
  • Science4you √2が開いた科学の扉 桑嶋 幹
  • 散歩道で感じる 日本の四季 岩槻 秀明
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2012年5月11日 (金)

白黒写真の仕組み 写真の仕組み(3)

白黒写真の現像の仕組み

 白黒フィルムは薄い膜に臭化銀(AgBr)の細かい粒子(直径0.0001~0.001 mm)を含んだゼラチンを塗ったものです。カメラのシャッターが切られ、光がフィルムにあたると、光のエネルギーで次のような光化学反応が起こり、臭化銀が分解して銀の黒い粒子ができます。

 
   臭化銀  → 銀 + 臭素

Neopan フィルムにあたる光はわずかなため、生成する銀もわずかです。そのため、フィルムには目で認識できるようなはっきりした像はできません。 この写真の元となる像を潜像といいます。

 この潜像を印画紙にプリントできるように明瞭に浮かび上がらせる作業が現像です。像を明瞭にするには、生成した銀のまわりの未反応の臭化銀をさらに分解して、銀の量を100万~1000万倍に増やします。

 現像はアルカリ性溶液中でハイドロキノンなどの還元剤を使います。この反応は次のようになります。


臭化銀 + ハイドロキノン → 銀 + p-ベンゾキノン+臭化水素

Photo

 

 この反応では銀が反応を促進する働きをします。
Photo2
そのため、光によって分解した銀がたくさんある部分は反応が速く進みます。結果として、光がたくさん当たって、銀がたくさんできていた部分ほど、銀が増えて黒くなります 。

 この反応を長時間行うと、光によって銀が生じていない部分の臭化銀も分解されていくので、放置するとフィルムが真っ黒になってしまいます。そこで現像が適度に進んだところで酢酸溶液を加え中和して反応を停止します。

 また、光が当たらなかった部分には臭化銀が残っています。また、光が当たったところにも未反応の臭化銀が残っています。臭化銀に光が当たると分解して銀ができ、フィルムが真っ黒になってしまいます。そこで残っている臭化銀をチオ硫酸ナトリウム(通称ハイポ)で溶かして除去します。これが定着です。

 定着が済んだフィルムは水洗し乾燥します。現像から定着までは暗室で行いますが、定着が終わるとフィルムを明るいところに持ち出すことができるようになります。

 フィルム上で光が強く当たったところは、銀がたくさん存在し黒くなっているため光が通りません。また、光が当たらなかったところは透明となります。これがネガフィルムです。

9

Episode 20, how to develop black and white film

■白黒写真のプリントの仕組み

 ネガフィルムを映写機のような装置に装着してフィルムの像を印画紙上に拡大し、その像を印画紙に焼き付けることにより写真ができます。この作業を引き伸ばしといいます。

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 印画紙にもフィルムと同様に臭化銀が塗られています。印画紙は光がたくさん当たったところが黒くなり、光が当たらなかったところが白くなります。ですから、ネガフィルムで引き伸ばしを行ったとき、ネガフィルムの黒い部分が印画紙上で白くなり、ネガフィルムの透明な部分が印画紙上で黒くなります。こうしてネガフィルムと反転した像が印画紙にできます。印画紙もフィルムの現像と同じように、現像、停止、定着、水洗、乾燥という作業が必要です。これで写真ができあがります。

Darkroom In Use

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2012年5月10日 (木)

カメラオブスクラの像を写真に残す 写真の仕組み(2)

カメラ・オブスキュラの像を写真として残す

 フランスの発明家ジョセフ・ニセフォール・ニエプスは、1790年代の初め頃から、ピンホールカメラでできる像を光化学反応を利用して絵として残すことができないかを考えていました。

 1798年、オーストリアのアロイス・ゼネフェルダーが化学反応によるリトグラフ(版画の一種の石版印刷)を発明すると、絵画などを大量に印刷することができるようになりました。

 ニエプスは自分が考えている光化学反応による方法が実現すると、リトグラフに代わる印刷方法を作り出すことができると考えました。

 彼は天然のアスファルトが光で硬化して油に溶けなくなる性質に注目し、最初に版画を作りました。この版画は天然アスファルトの上に半透明の紙に描いた絵を置き、それに光を当てることによって作るものでした。天然アスファルトの絵の線がある部分は光が当たらないため固まらず、線のない部分は光が当たるので固まりました。この天然アスファルトを油で洗うと、天然アスファルトの表面に絵が浮かび上がりました。

 彼はこの技術を太陽で絵を描くことからヘリオグラフィと名づけました。彼はこれと同じ原理でピンホールの像を残すことができると考えました。そして、 1822年、彼は天然アスファルトを感光材に使って写真の撮影に成功しました。彼の方法では1枚の写真を撮影するのに8時間もかかりましたが、カメラ・オブスクラの像を写真として残すことに成功したのです。

ニエプスが家の窓から撮影した景色の写真(1826年)
ニエプスが家の窓から撮影した景色の写真(1826年)

 この写真はニエプスが1826年に撮影したもので長らく世界最古の写真とされていましたが、後年、ニエプスが1825年に版画を撮影した「Un cheval et son conducteur(馬を引く男)」という題名の写真が見つかっています。また、原板は残っていませんが1822年に撮影した「用意された食卓」という写真も残っています(ココログ 夜明け前「カメラ発明の日(1839年8月19日)」)。

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馬を引く男(1825年)

銀塩写真とカメラの発明

 1829年、ニエプスは1820年代半ば頃から独自に写真の研究を行っていたフランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと共同研究を進め、銀メッキした銅板にヨウ素を反応させた感光板を使う方法を考えました。

Photo
ジョセフ・ニセフォール・ニエプスとルイ・ジャック・マンデ・ダゲール

 ニエプスは1833年に脳卒中で他界してしまいます。タゲールはニエプスの死後も研究を進め、ついに1839年にダゲレオタイプという銀板写真を完成させました。ダゲールはこの銀板写真を撮影する写真機をジルー・ダゲレオタイプという名前で発売しました。1回の撮影で一枚の写真しか撮れませんでしたが、撮影時間が30分に短縮され、非常に鮮明な写真を撮ることができるようになりました。

 次の写真はジルー・ダゲレオタイプと呼ばれるカメラで、ダゲール本人が1839年に作成したものです。

ジル・ダゲレオタイプ
ジルー・ダゲレオタイプ

 次の写真はダゲールが1838年から1839年に撮影した写真です。街路には人馬がたくさんいたそうですが、露光時間が10分だったため動くものは写真には残りませんでした。写真の左下の街路に立ち止まって何かに足を乗せいる人が写り込んでいますが、この人物が世界で初めて写真に写った人と考えられています。

タンプル大通り(1838〜1839年ダゲール撮影)
タンプル大通り(1838〜1839年ダゲール撮影)

 1841年、イギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは塩化銀の感光紙を使って写真を撮影し、感光紙をネガとして写真を焼き付けるネガ・ポジ法という写真術を発明しました。この方法をカロタイプといいます。露光時間が1〜2分で写真の焼き増しができるようになりました。

 1851年には、イギリスのフレデリック・スコット・アーチャーが露光時間数秒から数十秒の湿式法を発明しましたが、撮影時に感光液をガラス板に塗ななければならず取り扱いが面倒でした。

 そして、1871年に、イギリスのリチャード・リーチ・マドックスが現在のフィルムの原型となる臭化銀ゼラチンを使った乾板を発明すると、この方法が主流となりました。この乾板は感度も高く数秒の露光で写真が撮影できました。カメラには高速のシャッターが取り付けられるようになり、フィルムを巻物のようにしたロールフィルムが発明され、カメラは一般大衆化しました。

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2012年5月 9日 (水)

ピンホール現象とカメラオブスクラ 写真の仕組み(1)

カメラの原型は真っ暗な部屋

 真っ暗な部屋の壁に開けた小さな孔から差し込む光が、孔と反対側の壁に外の景色を映し出す。これがカメラの原型で、その原理は光のピンホール現象です。カメラの語源はラテン語のカメラ・オブスクラで、カメラは部屋、オブスクラは暗いという意味です。

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ピンホール現象とは

 カメラ・オブスクラの原理であるピンホール現象は紀元前から知られていました。紀元前5世紀頃に活躍した中国の思想家の墨子とその弟子達の著書には、針孔を通過する光が交差し倒立した像ができるという記述があります。

1

 また、紀元前4世紀のギリシャのアリストテレスは、樹木の葉の隙間から差し込む光が地面に丸い形を作ることに気が付き、日食の日にその丸い形が三日月のように欠けるのを見て、それが太陽の像であることを確かめました。

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 ピンホール現象は11世紀頃にイブン・アル・ハイサム(アルハーゼン)が詳しく解説しています。

ピンホール現象を利用したカメラ・オブスクラ

 15世紀頃にはイタリアのレオーネ・アルベルティやレオナルド・ダ・ビンチもカメラ・オブスクラを考案して利用した記録を残しています。

 この頃のカメラ・オブスクラはまさに暗い暗室で、太陽の観察を行ったり、壁などに映った景色をなぞって絵画を制作したりする目的で使われました。

 次の図はイタリアの画家のカナレット(ジョヴァンニ・アントーニオ・カナール)がカメラ・オブスクラで描いたベニスにあるCampo Santi Giovanni e Paoloという建物の絵の下書きです。

800pxcanaletto4fogli

 Campo Santi Giovanni e Paoloの写真です。上手の右から2番目の図と比べてみましょう。ドームや銅像などが描かれていてわかりやすいと思います。

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 次がカナレットが描いた図です。

Camposantigiovanniepaolo1741_jpgblo

 カメラ・オブスクラが広く使われるようなると、内部に椅子を取り付けたもの、移動式のもの、手で持って歩くことができる小型のもの、鏡を使って倒立像を正立像にするものなどが作られるようになりました。

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凸レンズを利用したカメラ・オブスクラ

 ピンホールでできる像は、ピンホールを小さくすると像がはっきりと映りますが、光の量が少なくなるので像が暗くなります。逆にピンホールを大きくすると、像は明るくなりますがぼやけてしまいます。

 この問題はピンホールの部分を凸レンズにすることによって解決することができます。前述のピンホールでできたろうそくの像を凸レンズで作ると下図のようになります。ピンホールは1点から出た光線が点像を作りますが、凸レンズは1点から出た光を集めて点像を作ります。像点を作る光の量が増えるため鮮明な像が得られるのです。

Photo_20221116134301

 カメラ・オブスクラに凸レンズが取り付けられるようになったのは16世紀に入ってからです。

1053

 レンズの利用によってカメラ・オブスキュラはさらに実用的になりました。しかし、この頃のカメラ・オブスクラは像を眺めるだけで、写真として残すことはできませんでした。18世紀の始めにドイツのヨハン・ハインリッヒ・シュルツが銀の化合物が光で変色することを発見していますが、写真を発明するまでには至らなかったのです。

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2012年5月 7日 (月)

スーパームーンと青信号

5月6日 スーパームーンと青信号です。

人類が昔から見ていた自然の灯りと、やっと作り出した人工の青色LED。

Photo

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2012年5月 6日 (日)

スーパームーン現象

5月5日と6日は月が地球に最接近するスーパームーン現象です。

5日の月の出を調べてみたら17:38でした。この時間だとまだ明るいので月はかなり見にくい状態です。そこで、もう少し待というと思って待機していたのですが、あっと気がついたら6時30分になっていました。

すでにこんな感じで月は昇っていました。地上の建物などとの対比の写真はほぼ失敗です。これだと、ちっとも月が大きく見えません。

Supermoon

これは6日未明に撮影した月です。

Supermoon1

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2012年5月 5日 (土)

これは凄い!タコの保護色による擬態 

イカやタコは色素胞と呼ばれる器官があります。その器官には、黄褐色系のオモクロームという色素が含まれています。

イカやタコはこの色素胞を収縮したり、弛緩したりすることによって、色素を集めたり、広げたりして体の色を変えています。

さらに、それらの色素が層のように存在しているため、まるで色を混ぜるように、さまざまな色を出すことが可能です。

Shapeshifting Octopus, amazing camouflage

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2012年5月 3日 (木)

5月5日にスーパームーン現象

月は地球のまわりを27日と7時間43分かけて公転していますが、その公転軌道は楕円形をしています。そのため、地球から月までの距離は363,304キロメートルから405,495キロメートルまでの間で変化しています。地球から月までの距離が約38万キロメートルというのは平均の距離です。

地球が月に最接近した満月もしくは新月のことをスーパームーンと呼びます。最近では昨年3月19日がスーパームーンとなりましたが、今年5月5日もスーパームーンとなるようです。

スーパームーンは普通の月よりも約14%大きく見え、約30%明るくなるそうです。

スーパームーンは潮の満ち引きには影響があるそうですが、大津波を起こすなど自然災害を起こすことはありません。過去にスーパームーンが津波を引き起こしたという噂もありましたが、そのような事実はありません。

Moon
※この写真は普通の満月です。

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