マイケル・ファラデーによる電磁誘導の発見(1)
電気と磁石の関係が見つかる
1752年に凧揚げの実験で雷の正体が電気であることを突き止めたアメリカのベンジャミン・フランクリンは、雷の放電が磁石の極性を反転させるという記録を残しています。
電気にはプラスとマイナスがあり、磁石にはN極とS極があります。電気も磁石も、それぞれ同じもの同士は反発し、異なるもの同士は引き合うという性質があります。また、電気や磁石の力は、互いに力を及ぼし合う物体間の距離が近いほど大きくなります。そのため、電気と磁気の間には何らかの関係があるのではないかと古くから考えられていました。
1820年、デンマークのハンス・クリスティアン・エルステッドは実験器具のボルタ電池のスイッチをONやOFFにしていたところ、電池の直ぐ側に置いてあった方位磁針の向きが変わることを発見しました。彼は、この現象を詳しく調べ、導線に電流を流すと、その周りに磁界が発生することを発見し、電気と磁気の間に密接な関係があることを見い出しました。
エルステッドの実験結果は、フランスのフランソワ・アラゴによってフランス科学アカデミーで紹介されました。その報告を耳にしたアンドレ=マリ・アンペールは電磁気の研究に取り組みました。彼は、導線に電流を流すと、電流が流れる方向に対して右ネジを回す方向に磁界が発生する右ネジの法則を発見し、電流とそのまわりにできる磁場との関係をアンペールの法則としてまとめました。ところで、この時代は電流の流れの向きは定義されていませんでした。アンペールは右ネジの法則を定義するにあたって、電流はプラスからマイナスに流れる決めたのです。
電気モーターの発明
エルステッドやアンペールが電気と磁気の関係について発見して間もなく、イギリスのハンフリー・デービーとウイリアム・ウォラストンは電動機の開発に着手しました。しかしながら、この開発は失敗に終わりました。
デービーの助手をしていたマイケル・ファラデーは、彼らからこの開発の話を聞き、独自に電動機の研究を進めて、やがて電動機を作り上げました。彼は、世界で初めて電気エネルギーを機械的エネルギーに変換する装置、つまり電気モーターを開発したのです。
ファラデーは、この成果をデービーやウォラストンに相談することなく、発表してしまいました。
デービーはファラデーのこの行動に激怒し、その結果、デービーとファラデーの師弟関係が悪化することになりました。
その後、ファラデーはロンドン王位協会の会員になりましたが、このとき、デービーはファラデーが会員になることに猛反対し、ファラデーがウォラストンの電動機のアイデアを盗んだとまで批判しています。
もっとも、デービーは後に「私の最大の発見はファラデーである」と言うぐらい、ファラデーのことを高く評価しています。当時、デービーがファラデーを強く批判したのは、デービーがファラデーの業績に嫉妬したからとも言われています。
いずれにせよ、ファラデーはしばらくの間、電磁気の研究をやりにくくなりました。この頃、産業革命による科学・技術の仕事が増えてきて、ファラデーは電磁気以外の仕事を行わなければならない立場に追いやられていました。
ファラデーは電流が方位磁針の向きを変化させるなら、磁石が電流に影響を及ぼすのではないか、電場や磁場は光に影響を及ぼすのではないかと考えていました。それらを実験で確かめようとしましたが、何も発見することができませんでした。彼は、電磁気に関する研究をさらに進めたいとう思いを抱きながら、彼にとっては日常の平凡な仕事が続きました。ようやくファラデーが電磁気の研究に戻ることができたのは1830年代になってからのことでした。
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