科学

2013年11月22日 (金)

アインシュタインの肉声 The Common Language of Science

アインシュタインの肉声を聞いたことがある人はそう多くないかもしれません。

Alberteinstein1947

このYouTubeの映像は、1941年秋に英国科学振興協会のラジオ演説において、アインシュタインが自身の論文「The Common Language of Science(科学の共通言語)」を朗読した音声を録音したものです。

Einstein speech : The common language of science

下記がこのスピーチの全文です。

The Common Language of Science
Essay by Albert Einstein

     The First Step towards language was to link acoustically or otherwise commutable signs to sense-impressions. Most likely all sociable animals have arrived at this primitive kind of communication---at least to a certain degree. A higher development is reached when further signs are introduced and understood which establish relations between those other signs designating sense-impressions. At this stage it is already possible to report somewhat complex series of impressions; we can say that language has come to existence. If language is to lead at all to understanding, there must be rules concerning the relations between the signs on the one hand and on the other hand there must be a stable correspondence between sings and impressions. In their childhood individuals connected by the same language grasp these rules and relations mainly by intuition. When man becomes conscious of the rules concerning the relations between sings the so-called grammar of language is established.

     In an early stage the words may correspond directly to impressions. At a later stage this direct connection is lost insofar as some words convey relations to perceptions only if used in connection with other words (for instance such words as: “is,”“or,”“thing,”). Then word-groups rather than single words refer to perceptions. When language becomes thus partially independent from the background of impressions a greater inner coherence is gained.

     Only at this further development where frequent use is made of so-called abstract concepts, language becomes an instrument of reasoning in the true sense of the word. But it is also this development which turns language into a dangerous source of error and deception. Every-combinations correspond to the world of impressions.

     What is it that brings about such an intimate connection between language and thinking? Is there no thinking without the use of language, namely in concepts and concept-combinations for which words need not necessarily come to mind? Has not everyone of us struggled for words although the connection between “things” was already clear?

    We might be inclined to attribute to the act of thinking complete independence from language if the individual formed or were able to form his concepts without the verbal guidance of his environment. Yet most likely the mental shape of an individual, growing up under such conditions, would be very poor. Thus we may conclude that the mental development of the individual and his way of forming concepts depend to a high degree upon language. This makes us realize to what extent the same language means the same mentality. In this sense thinking and language are linked together.

     What distinguishes the language of science from language as we ordinarily understand the word? How is it that scientific language is international? What science strives for is an utmost acuteness and clarity of concepts as regards their mutual relation and their correspondence to sensory data. As an illustration let us take the language of euclidian geometry and algebra. They manipulate with a small number of independently introduced concepts, respectively symbols, such as the integral number, the straight line, the point, as well as with signs which designate the fundamental operations, that is the connections between those fundamental concepts. This is the basis for the construction, respectively definition of all other statements and concepts. The connection between concepts and statements on the one hand and the sensory data on the other hand is established through acts of counting and measuring whose performance is sufficiently well determined.

     The super-national character of scientific concepts and scientific language is due to the fact that they have been ser up by the best brains of all countries and all times. In solitude and yet in cooperative effort as regards the final effect they created the spiritual tools for the technical revolutions which have transformer the life of mankind in the last centuries. Their system of concepts have served as a guide in the bewildering chaos of perceptions so that we learned to grasp general truths from particular observations.
What hopes and fears does the scientific method imply for mankind? I do not think that this is the right way to put the question. Whatever this tool in the hand of man will produce depends entirely on the nature of the goals alive in this mankind. Once these goals exist, the scientific method furnished means to realize them. Yet is cannot furnish the very goals. The scientific method itself would not have led anywhere, it would not even have been born without a passionate striving for clear understanding.

     Perfections of means and confusion of goals seem-in my opinion-to characterize our age. If we desire sincerely and passionately the safety, the welfare and the free development of the talents of all men, we shall not be in want of the means to approach such a state. Even if only a small part of mankind strives for such goals, their superiority will prove itself in the long run.

Albert Einstein
"The Theory of Relativity and Other Essays"
MJF Books
New York, NY

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2013年3月 3日 (日)

自然哲学の始まり

 世界中に多くの天地創造の神話があることからわかるとおり、古代の人々にとって、この世界がどのように生まれ、身の回りのものが何からできているのかという疑問に対する答えは、神々の存在だったでしょう。しかし、神々による天地創造のような説明は、地域や文化によって内容や解釈が変わり、普遍的なものではありませんでした。

 紀元前6世紀頃、現在のトルコの南西部に存在したイオニアにミレトスという古代ギリシャの植民都市が栄えていました。

紀元前5~6世紀頃のギリシャ周辺の国々

Map

 当時、ミレトスは地中海交易の拠点で、様々な国から多くの人々が訪れ、異文化交流が進みました。すると、人々がそれまで信じていた世界観や価値観は、崩れ始め、多様化し、混乱しました。古代ギリシャの人々にとっては、彼らが信じていたオリンポスの神話が崩れていくことになりました。

 そのような中で、普遍的な真理の追求が行われるようになり、これが哲学となりました。例えば、古代ギリシャでは、地震は海神ポセイドンによって引き起こされると考えられていましたが、哲学者タレスは神による説明を排除し、大地を支える水が振動するから地震が起きるという説を唱えました。

 自然哲学はミレトスで始まったと考えられており、ここで活躍した哲学者たちをミレトス学派と呼びます。やがて、自然哲学はイオ二ア全体に広がり、この地方の哲学者たちはイオニア学派と呼ばれるようになりました。

 後に活躍したアリストテレスはイオニア学派の哲学者たちを「自然について語る者(フィシオロゴイ)」と呼びました。なお、ミレトス学派はイオニア学派に属しますが、思想の違いから、一般に両派は区別されます。

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2012年9月 4日 (火)

ホーキング、パラリンピックの開会式で語る

8月29日にロンドンで行われた第14回夏季パラリンピックの開会式に、スティーヴン・ホーキング博士が登場し、博士の合成音声が流されました。

Orbital - Where Is It Going? - Paralympics

ホーキング博士は次のように語っています。

欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)は、世界で、いや、おそらく宇宙で最も巨大で最も複雑な機械である。巨大な力で素粒子を互いに激突させることで、ビッグ・バンの状態を再現します。先般のヒッグス粒子と見られる発見は、人類の努力と国際機関による共同研究の勝利です。それは、世界に対するわれわれの理解を変え、ありとあらゆるものについての完全なる理論への洞察を提供する可能性を秘めています。

流れている曲は「オービタル」というイギリスのテクノユニットの演奏によるものです。

オービタルは電子軌道という意味があります。原子中の電子が決められた軌道上を回転運動しているというニールス・ボーアの原子モデルは量子力学の議論を本格的に進めるきっかとなりました。ホーキング博士にぴったりの名前です

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2012年5月31日 (木)

学研の『科学』が書籍として復活

2009年3月で休刊した学研の小学生向けの雑誌『科学』が書籍として、7月10日に復活するそうです。

Kagaku1

 7月10日発売の第一巻の付録は7月10日発売の第一巻の付録は、水溶液の性質(酸性、アルカリ性)を調べることができる「水よう液実験キット」だそうです。

Kagaku2

 学研の『科学』が創刊されたのは1957年で、以来52年間販売を続けてきましたが、少子化の影響などによって販売部数が低下し、2009年3月にその歴史の幕を閉じていました。

 自分は『科学』はそれこそ2009年3月まで付録によっては購入していたのですが、休刊になることをとても残念に思っていました。しかし、休刊時においても『科学』『学習』あわせて70万部の売り上げがあったと聞き、これは重要がないわけではないので、そのうちそのうち同社の『大人の科学』のように書籍のスタイルで販売されるであろうと考えていました。

 これでまたひとつ楽しみが増えました。

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2012年5月25日 (金)

Google Scinece Fair 2012

Googleは世界中の13~18歳の学生を対象にしたGoogle Science Fair 2012のファイナリストを発表しました。

ようこそ - Google サイエンス フェア
http://www.google.com/intl/ja/events/sciencefair/index.html

世界中の学生から面白い研究成果がたくさんノミネートされていますが、日本からは関西学院高等部 数理科学部が選出されました。

関西学院高等部 数理科学部の研究テーマは「一枚の正方形の形をした紙からどのようにすればより大きな容積を持つ容器を作ることができるか?」です。

どのような研究かは次のページで閲覧することができます。

プロジェクトの概要
https://sites.google.com/a/googlesciencefair.com/science-fair-2012-project-ahjzfnnjawvuy2vmywlyltiwmtjydwssb1byb2ply3qy7-uhda/home

上部のボタン(ステップ1、ステップ2…)でページを切り替えると詳細を見ることができます。

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2012年5月22日 (火)

東京スカイツリーから見える地平線までの距離

本日2012年5月22日、東京スカイツリーがオープンしました。

東京スカイツリーの展望台からどれぐらい先まで見えるかを計算で求めてみましょう。

東京スカイツリーの高さは634 mです。第1展望台の高さは350 m、第2展望台の高さは高450 m、アンテナの高さは610 mです。

次の図は高さ450 mの第2展望台から地平線を見たときの様子を示したものです。第2展望台からはθ度分だけ離れた距離にしてH km先まで見えることになります。

地球の中心、展望台、地平線の3点が作る直角三角形に注目して、三角関数を使うか、三平方の定理を使うと、Hを求めることができます。それでは、三角関数を用いて求めてみましょう。

Skytree

①第1展望台から見える地平線までの距離

まず、cosθ = 底辺/斜辺 を考えます。

底辺は地球の半径ですから、6378 kmになります。一方、斜辺は(地球の半径+展望台の高さ)ですから、6378.35 kmになります。

すると、

cosθ = 6378/6378.35  → θ=0.60度

になります。

次に、tanθ=高さ/底辺 を考えます。

底辺は地球の半径ですから、6378 kmとなります。一方、高さはHとなります。

すると、

tanθ = H/6378  → H = 6378tanθ

となります。θ=0.6度を代入すると

H = 6378 tan(0.6) = 66.8 km

ということになります。

②第2展望台から見える地平線までの距離

計算方法は1と同じです。

cosθ = 6378/6378.45 → θ= 0.68度

H = 6378 tan(0.68) = 75.7 km

となります。

③アンテナから電波が直進で到達できる地面までの距離

これも計算方法は同じです。

cosθ = 6378/6378.61 → θ= 0.79度

H = 6378 tan(0.68) = 88.2 km

となります。

おまけ…

①地球上に立っている身長170 cmの人から見える地平線までの距離の計算は次の通りです。

cosθ=6378/6378.0017  → θ=0.042度

H = 6378 tan(0.042) = 4.66 km

非常に近い。歩いて1時間程度のところに地の果てがあることになります。

無人島で遭難した人が、島の近くを航行する船に助けを呼ぶことを考えてみましょう。この状態だと、自分のいるところから4.7 kmの範囲までしか船を探すことができません。ですから、遠くの船を探すには、できるだけ高い木に登った方が良いのです。狼煙をあげると、遠くの船からでも立ち昇る煙を見つけてもらうことができます。

②Hは次の式で求めることもできます。

H=θ/360×2πr  (2πrは地球の円周)

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2011年8月26日 (金)

飛んで火にいる夏の虫

■飛んで火にいる夏の虫

世界中に広く分布するヒトリガというガがいます。英語ではその羽の模様からTiger Mothと呼ばれますが、日本語では漢字で火取蛾と書きます。ヒトリガは夜行性の昆虫で、夜になると電灯の周りをぐるぐると旋回しながら飛ぶ姿をよく見かけます。電灯のない昔には、明かりを求めて、かがり火などに飛び込んで来たのでしょう。このような習性は、他の夜行性の昆虫でもよく見られますが、このガがよく目についたことから、とりわけ火取蛾と呼ばれるようになったのでしょう。

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表題の諺「飛んで火に入る夏の虫」はヒトリガのような昆虫の習性に由来しています。夜間に火の明るさを求めてやって来た昆虫が自ら炎の中に飛び込んで焼け死ぬことから、自ら進んで災いの中に飛び込むことのたとえとなりました。

■光に反応する昆虫の性質

生物が外部の刺激を受けて方向性のある移動運動をする性質のことを走性といいます。走性は生物に生まれつきのもので、経験や思考に基づくものではありません。そのため、走性を生じさせる刺激に対していつも同じ反応となります。

走性のうち、光の刺激に反応するものを走光性といいます。昆虫の走光性には次の表に示した屈曲走光性転向走光性目標走光性保留走光性があります。また、走光性には、ガのように光に近づく正の走光性と、ミミズのように光から遠ざかる負の走光性があります。

走行性の種類

屈曲走光性 光を感じる眼がある頭部や体全体を上下左右に振りながら、光の刺激の強さが等しくなる方向を探して進む走光性
転向走光性 左右対称についている眼を使って、左右の光の刺激の強さを比較しながら、光の刺激の強さが等しくなる方向を探して進む走光性
目標走光性 目標走光性眼の網膜に光源の像が同じように結ぶように進む走光性
保留走光性 眼の網膜に結ぶ光源の像に対して一定の角度で進む走光性

昆虫の走光性は、昆虫の種類や、幼虫か成虫かによって異なりますが、ここでは一般的な転向走光性と保留走光性について説明します。

転向走行性は2つの目に同じ明るさを感じる方向へ向かう性質です。転向走光性の昆虫の眼の片側から光を当てると、光を当てた側に向きを変え、反対側の眼にも光が同じように当たる方向を探します。光源が2つある場合、2つの光源の中間の場所に向かいます。また、眼の片側を覆うと、光源のある方に向きを変えますが、この状態では光源をぐるぐると回ることになります。

保留走光性の昆虫は眼の網膜に結ぶ光源の像を頼りに進むので、眼が左右対称についている必要はありません。眼の片側を覆っても、転向走光性の昆虫のように光源をぐるぐると回ることはありません。光源が2つある場合は、どちらかの光源だけを頼りに進みます。保留走光性は目標走行性に似ていますが、目標走行性の昆虫が光源に対して直線的に進むのに対して、保留走光性の昆虫は光源に対して一定の角度を保ちながら進みます。

■なぜガは電灯をぐるぐると回るのか

生物には昼行性のものと夜行性のものがいます。夜行性の生物には視覚よりも聴覚などを発達させたものもいますが、多くの生物はわずかな光を頼りに行動します。夜間、電灯や明るい自動販売機のまわりに集まってくる昆虫は夜行性で、正の走光性をもつ昆虫です。そして、電灯をぐるぐると回る昆虫は保留走光性です。どうして網膜に結ぶ光源の像を頼りに進む保留走光性の昆虫が電灯をぐるぐると回ってしまうのでしょうか。

太古の世界では、夜間の明るい光は月の光に限られていました。私たちは月明かりで身の周りの物体を確認しながら行動することもできますが、月を見ながら歩くと、月の位置を頼りにある方向へ真っ直ぐ進んで行くことができます。

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これは月が非常に遠くにあるため、月からやってくる光が平行光線として届いているからです。このとき、同じ方向に進んでいる限りは、どんなに移動しても、月はいつも同じ方角に見えます。

保留走光性の昆虫も、これと同じです。次の図のように、月の位置を頼りにある方向に真っ直ぐに進む習性があります。いつも月と同じ角度を保って進む限りは、同じ方向に真っ直ぐに飛んで行くことができるのです。

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一方、近いところにある電灯からやって来る光は傾きのある光線として届きます。保留走光性の昆虫がこの光線を頼りに光源に近づこうとすると、電灯の見える方角が次々と変化します。すると、昆虫は電灯が常に同じ方角に見えるように進む方向を修正します。その結果、保留走光性の昆虫は電灯をぐるぐると回ってしまうのです。

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■太古から現代に受け継がれた習性

太古から夜行性の昆虫は月を頼りに行動してきました。飛んで火に入る夏の虫のように、もし走光性が昆虫の生存に対して害をなすのであれば、その昆虫は絶滅してしまうはずです。しかし、自然界に火がそこらじゅうにあるわけではありません。総じて考えれば走光性は昆虫の生存を支えてきたのです。わずかな光を捉えて生き延びてきた太古の昆虫の走光性が現代の昆虫にも脈々と受け継がれているのです。電灯をぐるぐると回る昆虫の行動が滑稽に見えるのは、人間が人工の明かりをたくさん作ってしまったためでしょう。

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2011年5月24日 (火)

LEDが光るしくみ (4)

■LEDが放出する光の色とエネルギー

 LEDの発光色はLEDに使われている半導体の価電子帯と伝導帯のエネルギー差、すなわちバンドギャップの大きさEgで決まります。

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 つまりLEDが放出する光のエネルギーEはEgに相当します。光のエネルギーEは光の波の振動数νにプランク定数hを乗じたものでE=hν で表すことができます。また、光の波の振動数νは真空中における光速 cを波長λで除したものですから、光のエネルギーEは次の式のように表すことができます。

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h、c、λの単位をそれぞれ[J・s]、[m/s]、[m]とすると、Eの単位は[J]となります。hとcはそれぞれ定数ですから、h=6.6×10-34[J・s] とc=3.0×108[m/s]を上式に代入すると、E=1.98×10-25/λ[J]となります。λの単位を[nm]にすると、E=1.98×10-16/λ[J]となります。光のエネルギーEや半導体のバンドギャップのエネルギーEgの単位には[eV]がよく使われます。1[eV]は1.6×10-19[J]ですから、上式は次のようになります。

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 この式を使うと、光の波長λから光のエネルギーEを簡単に求めることができます。また、LEDに使われる半導体のバンドギャップのエネルギーEg がわかれば、そのLEDから放出される光の波長λを求めることができ、光の色を知ることができます。

■LEDをつくる化合物半導体

  ケイ素だけでできている半導体のバンドギャップEgは約1.12[eV]です。これを先の式に代入すると、ケイ素の半導体のバンドギャップEgに相当する光は、波長が約1100[nm](1.1[μm])の近赤外線になります。ですから、可視光のLEDには使えません。加えて、ケイ素単体の半導体は、電子と正孔が再結合する際に結晶の格子振動を伴うため、電子が持つエネルギーの光への変換効率が悪く、LEDには使えません。ゲルマニウム単体の半導体も同じです。

 LEDに使われる半導体でまず重要なのは発光効率が高いということです。電子と正孔が再結合するとき、電子の持つエネルギーが効率よく光に変換される必要があります。LEDに使われる半導体は2種類以上の元素を組み合わせてつくられた化合物半導体です。

 化合物半導体は結晶の格子振動を伴わないので、電子の持つエネルギーを光に効率的に変換することができます。化合物半導体には様々な種類がありますが、元素周期表のⅢ-Ⅴ族、Ⅱ-Ⅵ族、Ⅳ-Ⅳ族を組み合わせたものに分類することができます。

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 化合物半導体はケイ素単体の半導体にはない機能をもっています。下表は化合物半導体の分類を示したものです。

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 LEDの発光色とLEDに使われる化合物半導体の例を次の表に示します。半導体の種類によって、異なる波長の光が出てくるのは、それぞれの半導体のバンドギャップの大きさが異なるからです。

発光色 半導体材料 波長(nm)
赤色 GaAlAs 660
橙色 AlInGaP 610~650
黄色 AlInGaP 595
緑色 InGaN 520
青色 InGaN 450~475
紫外 InGaN 365~400
白色 InGaN青+ 黄色蛍光体 465 560
InGaN紫外+RGB蛍光体 465 530 612

(注)InGaNはGaNとInNを混合した結晶。混合比によりバンドギャップの大きさを変えることができる。

 このシリーズの第1回で「半導体は導体と絶縁体の中間の電気の通しやすさをもつ物質というより、条件によって電気を通したり、通さなかったりする物質」と説明しましたが、エネルギー変換装置のような機能を持っていると考えても良いでしょう。

■LEDの構造

 LEDの構造は下図のようになっています。金属製のリードフレームの片側にLEDチップが取り付けられて、そこから細い金属のワイヤがもう片方のフレームにつながっています。それに樹脂をかぶせた簡単な構造です。LEDが光を発するのはLEDチップに秘密があります。このチップに半導体が取り付けられています。一般的にLEDの足の長い方が、アノード(+)、短い方がカソード(-)です。

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■青色LEDがLEDの用途を広げた

 化合物半導体の発展により、種々の色の光を発光するLEDが登場しました。しかし、十分な明るさをもつ赤色LEDは早くから存在していましたが、青色LEDと緑色LEDは発光効率が悪く表示用ランプなどに使われるのみでした。1980年代の後半に当時名古屋大学の赤崎勇氏や天野浩氏(現在は名城大学)のグループがGaNの単結晶の製作やGaNの不純物半導体の作製に成功すると、このことがきっかけとなって高輝度の青色LEDや緑色LEDの開発が進みました。高輝度の青色LEDの登場により、白色LEDをつくることができるようになり、LEDは次世代の照明として注目されるようになりました。

■白色LEDのしくみ

 白色以外のLEDはある波長を中心とした単色光に近い光を発光しますが、白色光そのものを出すLEDはありません。白色LEDには、(1)青色LEDと黄色蛍光体を組み合わせたもの、(2)紫外線LEDと赤緑青(RGB)の3色を発光する蛍光体を組み合わせたもの、(3)赤色LED、緑色LED、青色LEDを組み合わせたものがあります。

 現在、主流の白色LEDは(1)のタイプのものです。青色LEDから放出する青色光と、青色光が当たることによって蛍光体が出す黄色い光を混色することにより白色光をつくります。青色光と黄色光が補色の関係にあるため、白色光を作ることができるのです。この白色LEDの発光波長は465[nm]、560[nm]ですが、465[nm]が青色LEDの光、560[nm]が黄色蛍光体から出る光です。蛍光体から出る黄色い光はかなり波長幅のある光です。ですから、この白色LEDの光をCDなどの裏面で回折させて見ると、青色や黄色以外の色も見えます。

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(2)のタイプの白色LEDは、LEDから出る紫外線が当たることによって蛍光体が出す赤緑青の光を混色することにより白色光をつくります。(1)の白色LEDより演色性が良く、照明用白色LEDとして注目されています。

蛍光体から出る光の波長は蛍光体に当てる光の波長より長くなります。つまり、もとの光のエネルギーより高いエネルギーの光は得られないということです。そのため、短波長の光を出す高輝度の青色LEDが白色LEDの実現に不可欠だったのです。

(3)のタイプの白色LEDは前述の2つの方式とは異なり、赤緑青の3色のLEDの光を混色して白色光をつくります。光の3成分が単色光に近いので、演色性はあまり良くありませんが、RGBだけで色をつくるカラー液晶のバックライトなどに使われています。

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2011年2月13日 (日)

LEDが光るしくみ(3)

■LEDの光のもとは電子のエネルギー

LEDの発光原理をもう少し詳しく理解するため、電子のエネルギーについて考えてみましょう。 電子は波の性質を持っており、電子がもつエネルギーは電子の波の振動数(波長)によって決まります。電子には原子中で存在できる振動数と存在できない振動数があるため、電子が取り得るエネルギーは不連続となります。原子の電子軌道が飛び飛びになるのはこのためです。1つの電子軌道は1つのエネルギー準位に対応し、電子は低い準位から高い準位へと順番に位置を占めるように存在します。このとき、電子は準位と準位の間には存在できません。

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■結晶中の電子のエネルギー状態を考えてみよう

原子が単独に存在するとき、1つのエネルギー準位は上図のように1本の線で表すことができます。原子が複数存在する場合は、原子と原子の同じエネルギー準位の電子軌道が相互作用し、1つだったエネルギー準位が原子の数と同じ本数に分かれます。原子が多数存在する結晶中の電子のエネルギー準位は多数の線の束となり、帯(バンド)のようになります。この帯のことをエネルギーバンドといいます。これを簡単に示すと次の図のようになります。

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結晶中の電子は低い準位のエネルギーバンドから順番に満たされていきます。結合の担い手となる原子の最外殻にある価電子は価電子帯という高い準位のエネルギーバンドに属します。 電子がエネルギーの低いところから高いところへ順番に満たされていくとき、すべての電子が満たされたときの最大のエネルギーをフェルミ準位といいます(統計的には電子の存在確率が50%になるところになります)。フェルミ準位は、簡単に言うと、どのぐらいのエネルギーまで電子が満たされているかを示す値です。 価電子帯の上には通常は電子が存在しない伝導帯というエネルギーバンドが存在します。価電子帯と伝導帯の間には電子が存在できない禁止帯(禁制帯)があります。禁止帯のエネルギーの幅のことをバンドギャップといいます。価電子帯は電子が詰まった状態で、電子は動くことはできません。しかし、価電子帯の電子が外部からエネルギーを受けて、バンドギャップを乗りこえ伝導帯に移動すると、自由電子となり電流が流れるようになります。

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■金属・絶縁体・半導体のエネルギーバンド

金属は次の図のようにフェルミ準位が価電子帯にあります。そのため、価電子帯のフェルミ準位の上の部分には電子が存在せず、伝導帯のようになっています。金属に電圧をかけると価電子が容易に価電子帯の上の部分に移動し、自由電子となります。ですから、金属は電流がよく流れるのです。

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絶縁体や半導体の価電子帯はすべて電子で詰まっており、フェルミ準位は禁止帯にあります。伝導帯は禁止帯の上にあるため、金属のような現象は起きません。絶縁体と半導体の違いはバンドギャップの大きさです。絶縁体はバンドギャップが大きいため、価電子帯の電子はバンドギャップを乗りこえて伝導帯に移動するのに大きなエネルギーを必要とします。そのため、金属のようにわずかなエネルギーでは価電子は自由電子になることができません。ですから、絶縁体には電流が流れません。 一方、半導体は絶縁体よりもバンドギャップが小さく、絶縁体に比べて小さなエネルギーで価電子が自由電子となるため電流が流れます。

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■p型半導体とn型半導体のエネルギーバンド

純粋な半導体(真性半導体)に不純物を加えることをドーピングといい、加える不純物をドーパントといいます。p型半導体のドーパントは正孔を生成させ電子を受け取るのでアクセプタ、n型半導体のドーパントは結合に供与しない電子を与えるのでドナーといいます。 半導体にドーパントを加えると、ドーパントと価電子帯の電子が相互作用するためのエネルギー準位が禁止帯に新たに生じます。p型で生じる準位をアクセプタ準位、n型で生じる準位をドナー準位といいます。アクセプタ準位は価電子帯に近いところに生じ、価電子がアクセプタと結合するため、価電子帯に正孔が生じます。一方、ドナー準位は伝導帯に近いところに生じます。ドナーの電子は結合に使われないので、伝導帯に移動し自由電子となります。加えるアクセプタやドナーの量が多いほどキャリア(自由電子や正孔)が増え電流が流れやすくなります。 フェルミ準位はp型では電子が不足するので禁止帯の中心より下側、n型では電子が注入されるため禁止帯の中心より上側となります。フェルミ準位の位置は電子密度で決まります。

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■pn接合するとエネルギーバンドはどうなるか

電圧をかけていない状態では接合部付近に空乏層ができます。このとき、p型とn型の電子密度は釣り合っているのでフェルミ準位が一致します。また、伝導体と価電子帯のp型-n型間のエベルギー差が大きいため、電子や正孔は移動することができず電流が流れません。

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順方向の電圧をかけると、カソードから電子が注入されるため、空乏層の領域が小さくなり、電子密度に変化が生じます。p型とn型のフェルミ準位の差が生じ、伝導体と価電子帯のp型-n型間のエベルギー差が小さくなります。その結果、電子はn型からp型へ、正孔はp型からn型へ移動できるようになり、電流が流れます。 自由電子と正孔は接合面で出合い再結合し電気的に中和されます。このとき、電子のエネルギーが熱や光のエネルギーとして放出されます。放出されるエネルギーの大きさは半導体のバンドギャップによって決まります。つまり、半導体の種類やドーパントの種類を変えることにやって、異なるエネルギーを放出させることができるようになります。可視光線のエネルギーが出てくるようにつくられたものが普通のLEDです。これがLEDの発光の基本的なしくみです。LEDについては次の記事で説明します。

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2011年1月23日 (日)

H2Bロケット打ち上げ成功

22日に種子島から打ち上げれたH2Bロケットは発射から15分後に無事にHTVを切り離し、打ち上げに成功しました。HTVは28日にISSとドッキングする予定です。

打ち上げの中継を見ていましたが、カウントダウンが始まって、打ち上げられてから15分間があっという間に過ぎました。何が起こるかわからないという面もありますが、非常にスムーズに進んでいたので安心して中継を見ていました。

ISSへの物資の輸送は長らくの間米国NASAのスペースシャトルが行っていましたが、これからはHTVがその役割を担います。

今回のH2Bロケットの打ち上げ成功は日本の技術力の高さを証明し、人工衛星打ち上げの海外受注を促進することになると思います。

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