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2012年5月10日 (木)

カメラオブスクラの像を写真に残す 写真の仕組み(2)

カメラ・オブスキュラの像を写真として残す

 フランスの発明家ジョセフ・ニセフォール・ニエプスは、1790年代の初め頃から、ピンホールカメラでできる像を光化学反応を利用して絵として残すことができないかを考えていました。

 1798年、オーストリアのアロイス・ゼネフェルダーが化学反応によるリトグラフ(版画の一種の石版印刷)を発明すると、絵画などを大量に印刷することができるようになりました。

 ニエプスは自分が考えている光化学反応による方法が実現すると、リトグラフに代わる印刷方法を作り出すことができると考えました。

 彼は天然のアスファルトが光で硬化して油に溶けなくなる性質に注目し、最初に版画を作りました。この版画は天然アスファルトの上に半透明の紙に描いた絵を置き、それに光を当てることによって作るものでした。天然アスファルトの絵の線がある部分は光が当たらないため固まらず、線のない部分は光が当たるので固まりました。この天然アスファルトを油で洗うと、天然アスファルトの表面に絵が浮かび上がりました。

 彼はこの技術を太陽で絵を描くことからヘリオグラフィと名づけました。彼はこれと同じ原理でピンホールの像を残すことができると考えました。そして、 1826年、彼は天然アスファルトを感光材に使って写真の撮影に成功しました。彼の方法では1枚の写真を撮影するのに8時間もかかりましたが、カメラ・オブスクラの像を写真として残すことに成功したのです。

ニエプスが家の窓から撮影した景色の写真

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この写真はニエプスが1826年に撮影したもので長らく世界最古の写真とされていましたが、後年、ニエプスが1825年に撮影した「Un cheval et son conducteur(馬を引く男)」という題名の写真が見つかっています。

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銀塩写真とカメラの発明

 1829年、ニエプスは1820年代半ば頃から独自に写真の研究を行っていたフランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと共同研究を進め、銀メッキした銅板にヨウ素を反応させた感光板を使う方法を考えました。

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 ニエプスは1883年に急死してしまいます。タゲールはニエプスの死後も研究を進め、ついに1839年にダゲレオタイプという銀板写真を完成させました。ダゲールはこの銀板写真を撮影する写真機をジルー・ダゲレオタイプという名前で発売しました。1回の撮影で一枚の写真しか撮れませんでしたが、撮影時間が30分に短縮され、非常に鮮明な写真を撮ることができるようになりました。

ジル・ダゲレオタイプ

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ダゲールが撮影した写真

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 1841年、イギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは塩化銀の感光紙を使って写真を撮影し、感光紙をネガとして写真を焼き付けるネガ・ポジ法という写真術を発明しました。この方法をカロタイプといいます。露光時間が1、2分で、写真の焼き増しができるようになりました。1851年には、イギリスのフレデリック・スコット・アーチャーが露光時間数秒から数十秒の湿式法を発明しましたが、撮影時に感光液をガラス板に塗ななければならず取り扱いが面倒でした。

 そして、1871年に、イギリスのリチャード・リーチ・マドックスが現在のフィルムの原型となる臭化銀ゼラチンを使った乾板を発明すると、この方法が主流となりました。この乾板は感度も高く数秒の露光で写真が撮影できました。カメラには高速のシャッターが取り付けられるようになり、フィルムを巻物のようにしたロールフィルムが発明され、カメラは一般大衆化しました。

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