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2012年2月22日 (水)

ハインリヒ・ヘルツ生まれる

Hertz2011hp

 ドイツの物理学者ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz)は1857年2月22日にハンブルグで生まれました。

Heinrich_hertz 1881年にアルバート・マイケルソンが干渉計の試作品を使った実験で、それまで光を伝える媒質とされたエーテルが見つからないという結果を出しました。

 この結果は干渉計の誤差があり、確実なものではありませんでしたが、この結果を見たヘルツは、光が空間を伝わる仕組みを解明するため、マクスウェルの方程式に関する研究を始めました。

 1887年、彼は、電磁波の発信機と受信機を作り、電磁波を実際に発生させて、検出する実験を行いました。

 彼はまず検出器の開発を行いました。彼が作った検出器は狭い隙間が空いた針金の輪でした。電磁波を検出すると、電磁波と共鳴して振動電流が生じ、火花が生じる仕組みになっていました。

 彼は続いて電磁波の発信機の開発を行いました。検出器とうまく共鳴する波長の電磁波を発生する装置を作るのに手間取りましたが、試行錯誤の結果、ついに検出器が火花を出す電磁波を放つ発信機を完成させました。

 彼は、この実験で、電磁波の存在を確認し、電磁波が屈折、反射などの現象を生じることを確かめました。まや、電磁波の速さが光速に等しいことも確かめました。彼は、マクスウェルが予言した電磁波が実際に存在することが確かめ、マクスウェルの電磁波理論を実証したのです。

 彼はこの実験の中で、電極に紫外線を当てると、電極から出てくる電磁波が強くなることを見いだしています。彼は光電効果の発見をしていたいのです。

 さて、彼の実験は無線通信の幕開けを告げるものでしたが、彼はこの実験結果について、自分はマクスウェルが予言した電磁波の存在を確かめただけであり、この実験結果は世の中の役に立たないであろうと考えたようで、それ以上の研究は行いませんでした。

 彼は1892年に体調を崩し、1894年に36歳の若さで他界しました。ヘルツの業績が特に認められるようになったのは20世紀になってからです。周波数の単位がヘルツ[Hz]と定められたのは1930年のことでした。もし彼が生きていれば73歳でした。もし、彼が生きていたら、きっとノーベル賞を取っていたことでしょう。

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