« 白色LEDのスペクトル | トップページ | 朝永振一郎先生の講演テープを聞くことができるサイト »

2012年2月20日 (月)

古代の人々が考えた視覚(1)

古代エジプト人が考えた光と眼の関係

 私たちは日常の体験から、明るいところではものが見え、真っ暗闇になるとものが見えなくなることを知っています。また、眼を開けるとものが見え、眼を閉じるとものが見えなくなることも知っています。

 古代の人々は、この当たり前の2つの日常の体験の間に何らかの関係があるのではないかと考え、そこを出発点として視覚の原理を考えるようになりました。

 現在を生きる私たちが、彼らの視覚の原理を理解するためには、いま持っている科学的知識をいったん捨て去り、五感を研ぎ澄まして日常体験に対面し、想像力を働かして考えた方が良いかもしれません。

Photo_3 古代エジプトのトリノ・パピルス(トリノ王名表)という子文書があります。この古文書はイタリアのトリノ博物館で発見されたものですが、もともとはエジプト新王国時代の紀元前1300年頃に書かれたもので、古代エジプト歴代の王名や治世が記されたものです。時代的にはラムセス2世の頃です。この古文書に太陽神ラーの言葉「私こそ眼を開くものである。その眼を開くと光がある。その眼を閉じると闇が訪れる」が記されています。ラーが眼を開くとは日の出を、眼を閉じるとは日の入りを意味しています。古代エジプト人にとって、光は太陽神ラーの眼差しだったのです。なお、ラーの右眼は太陽を、左眼は月を象徴していました。

 太陽と眼を関連づけた神話は古代エジプトに限らず、世界中にたくさんあります。日本神話に登場するアマテラスオオミカミ(天照大御神、天照大神)は、古事記においては、天地開闢の最後に生まれたイザナギ(伊弉諾・伊邪那岐)の左眼から生まれと記されています。また、イザナギの右眼から生まれたのがツクヨミ(ツキヨミ、月夜見)と記されています。

古代ギリシャの哲学者が考えた視覚の仕組み

 古代ギリシャ神話の太陽神はヘリオスです。ヘリオスは世界の東端に住んでいて、朝になると、太陽の戦車(羽をもった4頭の馬に引かせた炎の馬車)に乗り、西端まで駆け抜けていきます。その後、ヘリオスは戦車とともに黄金の渡し船に乗り込み、一晩かけて西端から東端まで戻ります。古代ギリシャ神話においては、太陽神ヘリオスの東から西への移動が、日の出と日の入りでした。

 多くの古代の人々がそうであったように、古代ギリシャの人々も、世界は神々によって作られていると考えていました。やがて、地中海沿岸に都市が栄えるようになると、周辺諸国から多くの人々が訪れ、異文化交流が進むようになりました。すると、これまで人々が信じていた世界観や価値観が崩れ始め、多様化し、混乱しました。古代ギリシャの人々にとっては、彼らがそれまで信じていたオリンポスの神々の神話が崩れていくことになりました。

 そのような中で、この世界の成り立ちや仕組みについて、神学的でもなく、宗教的でもない、誰にでも合理的に説明できる答えが求められるようになり、これが哲学となりました。古代ギリシャの哲学者たちは普遍的な真理を追求し始めたのです。

 古代ギリシャの哲学者たちは、どうしてものが見えるのか?視覚の仕組みの探究についても真理を追求しました。ただし、この時代は、人の体の仕組みは未だよくわかっていませんでしたし、光に関する科学的な知識も十分ではありませんでした。彼らは、身近な現象や体験から、視覚の仕組みについて考えました。

 古代ギリシャで考えられた視覚の仕組みには2つの説がありました。ひとつはエンペドクレスなどの四元素説を唱えた哲学者たちが考えた外送理論であり、もうひとつはデモクリトスなどの原子論を唱えた哲学者が考えた内送理論です。

Empedocles_in_thomas_stanley_histor

エンペドクレス(左)とデモクリトス(右)

外送理論による視覚の仕組み

 エンペドクレスは、愛と美と性の女神アプロディーテーが、火・水・土・空気の四元素から人間の眼を作り、眼でものを見ることができるようにするため、眼の中に火を灯したと言っています。そして、彼は、眼の中の火は眼の外へ光を送り出し、この光によって視覚が生じると考えました。

450pxaphrodite_of_milos

ミロのビーナス(ルーブル美術館) 
アプロディーテーがモデルと考えられている

 外送理論を主張した哲学者たちは、私たちがものを見ることができるのは、眼が光を出し、その光がものにあたって戻ってくるからだと考えました。

Photo

 そして、壁の向こう側にあるものが見えないのは、眼から出た光が壁に遮られて物体に届かないからであり、遠くのものがぼんやりと見えるのは、眼から出た光がものに届くまでに弱まるからだと考えました。

 しかし、もし、眼の中の火から出た光が視覚を生じさせるのであれば、暗やみでものが見えないことを説明することができません。

 もちろん、彼らも、ものを見るためには、太陽などの光源の光が必要であることを知っていました。しかし、その光だけで視覚が生じるとは考えなかったようです。

 そこで、彼らは、ものが見えるというのは、眼の中の火から出た光と、太陽などの光源から出る光の相互作用によるものであると結論づけています。

 外送理論による視覚の解釈は、内なる光と外の光が一体となって視覚が生じるというものです。つまり、視覚は物理的な装置としての眼による機械的かつ受動的な働きだけで生じるものではなく、精神的かつ能動的な働きで生じると考えられました。

内送理論による視覚の仕組み

 デモクリトスを始めとする原子論者たちのものの考え方は、唯物論的であり、機械論的でした。ですから、外送理論のように、精神的かつ能動的な働きかけがあって、視覚が生じるとは考えなかったようです。

 原子論者たちは、私たちがものを見ることができるのは、ものの表面から外皮または膜のようなものがはがれ落ちて目に入るからからだと考えました。ものを見ている瞳をのぞきこむと、瞳の中にものが映り込んでいることがその証拠であると主張しました。

Image3

 彼らは、壁の向こう側が見えないのは物体からはがれてたものが、壁にさえぎられて目に届かないからであり、遠くのものがぼやけて見えにくくなるのは、物体からはがれたものが目に届くまでに色々なものにぶつかってくずれるからだと考えました。

 しかし、内送理論には、山などの眼より大きなものの皮や膜のようなものが、どうして眼の中に入るのかという反論がありました。

支持されたのは外送理論

 内送理論は、視覚を考えるうえで、もので反射した光が眼の中に入るという光と眼の基本的な関係を直感的に説明したものとも考えられます。そのように考えると、内送理論で言うところの外皮や膜は網膜に像を作る光線群と解釈することもできそうです。

 しかしながら、それは現在に生きる私たちが視覚に関する知識を持っているからこそ言えることでしょう。当時、眼より大きなものの皮や膜のようなものがどうして目に入るのかという反論があったということは、皮や膜は光線とは異なることを意味しています。

 一方、外送理論はプラトンを始めとする多くの哲学者によって支持されました。

 そのひとつの理由として、デモクリトスなどの原子論学者の唯物論的、機械的な考えが、古代ギリシャ哲学の中で異端的であったことがあげられます。

 原始論者は、この世界に存在するのものや事象はすべて必然の結果であるとし、その対象は人間の思考や行動にまで及ぶと考えました。人間の肉体は原子からなるのだから、人間の思考や行動が未来でどうなるかは予め決められており、筋書き通りになると考えたのです。

 しかし、このような機械論的な思想は、原子論者たち自らの考えの流布の妨げになりました。実際、その後の古代ギリシャ哲学は、プラトンやアリストテレスの人間主義的な思想が主流となりました。原子論が封印され、四元素説が支持されるようになったのと同様に、内送理論は封印され、外送理論が支持されていくことになったのでしょう。

 外送理論は、眼が光を出しているという滑稽な理論ですが、この理論が発展することによって、視覚の仕組が解き明かされていくことになります。この話はまた続きに。

人気ブログランキングへ

|

« 白色LEDのスペクトル | トップページ | 朝永振一郎先生の講演テープを聞くことができるサイト »

視覚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1255676/44152643

この記事へのトラックバック一覧です: 古代の人々が考えた視覚(1):

« 白色LEDのスペクトル | トップページ | 朝永振一郎先生の講演テープを聞くことができるサイト »